口寄せ  セキセイインコ

インプリンティング

(2012年1月26日更新)

  • 鳥の本能行動に刷り込みというものがある。 生まれた直後の鳥は、目の前にあった動いて声を出すものに対し親だと思い込む習性があり、それが例えば人であっても、鳥は人を親と思い後ろを付いてくるらしい。 相手がくい道楽人形であっても同じ行動を示すようである。 もちろんどの鳥でも刷り込みがあるわけではないだろうが、やっかいなのは、親と間違えられたものは、本当の親に成り代わり、雛を育てる必要が出てくる。 この習性を利用して、ペットショップなんかで孵化しそうな卵を店の客に置いておくと、卵が孵化した時、それを観ていた客に雛を売りつけることができる。 女性が落としたい男性が居る時によく使う「できちゃったみたい」という必殺技と同じ効果である。 男性は責任に弱いものなので、大抵の男性客は渋々買うつもりがなかった鳥と鳥かごなんかを買っていってくれるはずである。 くだらない話しはさておき、僕は実家も今の住まいも1軒家ではなく、ペットも原則禁止だったため、犬猫のような大きなペットを飼ったことはなかったが、かわりに十姉妹やセキセイインコなどを飼っていた。 我が家の鳥の飼い方は、鳥かごに入れず、少しだけ羽を切って飛ばないようにしてから放し飼いで育てていた。 オヤジが鳥かごで飼うのはかわいそうだということで、そのような飼い方をしていたのだが、羽を切られるのも負けじとかわいそうではあるが、鳥かごの鳥よりも自由度はあったと思う。 学校から家に帰ると、インコを踏まないように注意しながら家に入り、どこにいるのか探す。 大抵は台所の蛇口とか、ソファーの近くとか、とにかく留まっていられそうな所にいることが多いのだが、たまに、食器棚の一番上にいたりしてどこにいるのか分からないこともあった。 よく覚えているのが、台所の蛇口にインコが留まって寝ている時に、頭を洗おうと蛇口からお湯を出したことで、蛇口が熱くなり、驚いて飛び出してすぐ横の湯沸しのヘリに頭をぶつけて落ちたことがあった。 鳥にとってはとんだ災難だが、鳥かごで飼うだけでは決して見られない仕草ではある。 ある日、オヤジが職が無く、毎日ぶらぶらしているときに、せっかくだからとインコを雛から育て始めた。 卵からではなく雛を飼ってきて、鳥の飼い方なる本とにらめっこして育てていたようだが、苦労の甲斐あってその内の何疋かは大きく育った。 偉いもので、そうやって手を尽くして育てたおかげか、それなりにどのインコも人に慣れていたのだが、その内の1匹が妙な行動を見せるようになった。 オヤジが晩酌になって酒を飲もうとすると、一緒にテーブルのヘリにやってきて、一緒にご飯を食べようとするのである。 少し酒をやると、疑いもなく舐めて、しばらくするとひっくり返って、酔っ払ってしまう。 人にこれほど慣れるというのも驚きではあるが、僕の記憶でもこの鳥は一緒にも嫌がらずに風呂に入るし、寝る時も布団にやってきて近くで寝ることもしばしばあった。 10数年間色んな鳥を飼ってきて、後にも先にもこれだけ人間に慣れた鳥は、このインコだけだったのだが、今でも記憶に残っているのは、そのインコが刷り込みという本能だったとはいえ、家族の一員のように振舞ってきたからである。 動物の本能というのは本当に凄いもので、愛らしい仕草で人間さえも自分の成長の手助けとして利用するというのが、厳しい自然の中で暮らすための知恵なのかもしれない。 人間生活でも、天使のように愛らしい女の子が高いプレゼントを要求してくるのも、動物の本能なのかもしれない。 執拗な愛らしさには、きっとそういうくすんだ本能が見え隠れしているに決まっている。 だから僕は愛らしい女の子にモテないのである。 きっと僕もお金があればもっと・・・。 ということを思っている男性は、世の中にかなりいるのではないかというお話でした。
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