しりとり  量産型ザク

ストーム・トルーパー効果

(2012年1月24日更新)

  • ダジャレではないがザクと言えば雑魚キャラの代名詞である。 とはいえガンダムを知らない人からすれば、何それ状態なのだが、知らない人もいるのでわかりやすく言うと、歌番組のスクールメイツみたいなものである。 居なくてもいいが、居ないと寂しい。 子どもの頃にガンダムのプラモデル、所謂ガンプラブームが起きた。 当時の男の子なら一度はガンダムに出てくるモビルスーツのプラモデルを作ったことがあるだろう。 あまりの人気ぶりに、ガンプラを作る漫画も大ヒットしたくらいだ。 ガンプラの魅力は、当然のことながらアニメの世界をそのままに抜き取ったようなリアルさとデザイン性の高さで、それを自分なりにデフォルメして作る楽しさがあった。 僕はガンプラ以前に、ガンダムを観ていなかったので、ガンプラ作りにそんなに熱中したわけではないのだが、そんな僕でも一度か二度は作ったことがある。 商業的に成功するものの大半は、物のヒットと共に大きくなるケースが多くある。 ガンダムが商業的に成功したのは、間違いなくこのガンプラがあったことも要因の一つだったろう。 僕が初めて作ったガンプラ「旧ザク」は、アニメでも最初に登場しただけのモビルスーツなのだが、旧と言うだけあってなかなかに地味な奴で、一生懸命に作ったにもかかわらず、地味すぎて愛情が芽生えず、最後はふざけて爆竹を仕掛けて寒空の公園で吹き飛ばしたのを覚えている。 最初にゲルググくらいを作っておけば、もう少しガンダムを愛せたのかもしれない。 最近はどうだか知らないが、昔のアニメにはこういう雑魚なキャラクターが必ずいた。 例えばキン肉マン消しゴムが流行ったときも、「おい、またウルフマン出たよ」的な、雑魚キャラはがちゃがちゃでも良く出てくるし、プラモデルの量産型ザクもその名に負けず量産されていたのか、並み居るガンプラが売り切れる中、ザクは売り切れ知らずだった。 しかし、こういういぶし銀的な雑魚キャラクターこそが意外と長生きで、ザクタイプのモビルスーツは、以降のガンダムシリーズの定番として定着している。 自ら光を放たなくても、光のすぐそばでその光を引き立たせるものは、人々に長く親しまれる。 特に日本人はそういうサブキャラに対する愛を持っている人は多いように思える。 雑魚ではないが、俺は月夜に咲く月見草だとか行っていた往年の名選手がいたが、この人は還暦を過ぎてもプロ野球の監督をしていた。 やはり地味な人は息が長い。 アニメや映画などの世界では、ストーム・トルーパー効果と言う言葉があって、これはいわば雑魚キャラの定義的な言葉である。 まず雑魚キャラは努力しても主人公にはパンチのひとつも当たらず、物語の本編に影響を一切与えない。 そして、雑魚キャラの負け方は理不尽なほどあっという間に負けて、果てしなく弱い。 語源はスターウォーズの帝国の兵士からきているらしく、実際にスターウォーズの兵士は枯葉の賑わい程度の存在感しかない。 とは言え、宇宙戦争という題材の全体的な構図の中では、あっさり負ける、あっさり壊れる、これらキャラクターの役割はとても大きい。 そしてこれら雑魚キャラの軽さが意外と親近感をもたせる。 僕も、初めて買ったガンプラが何故「旧ザク」だったのかを思い出すとき、他のキャラクターだと失敗したときショックだからだったように思う。 この親近感がそのキャラクターを長持ちさせているのかもしれない。 愛される方法を一言で表すのは大変難しいのだが、定番の魅力というものが確かに存在して、今はダメでもいつか脚光を浴びる時がくるものである。 大切なのはやり続けることなのかもしれない。
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