宇宙の始まり

神様の一撃

(2015年05月10日更新)

  • サロメを演じるために物語のディティールを白紙にして、一からアレンジしていくことで、何とか演目にしていこうとするナナさんと、その親友でサイエンス女子のキリさん。 本編は科学の力を借りながら、何とか戯曲サロメを、その独特のエッセンスを残しながら、高校の演劇の舞台で演じようと奮闘していきます。 サイエンス女子という響きで何かを書きたいと書き始めました。 慣れないネット物語ですが、以降の物語もどうぞ宜しくお願いいたします。 さて、物語の中でキリさんは 「世界はまず無から強大な力を身につけた」と主張します。 彼女の言う世界とは、目の前に広がるあらゆる全てのことです。 随分大きなお話ではありますが、でも考えたらこの世界って何故存在するのでしょうか? そして世界の終わりはどこにあって、世界の始まりって、どうやって始まったのだろう。 このような疑問はすでに数千年前の人々も同じく疑問に感じてきました。 そして多くの哲学者や科学者たちが、この疑問にさまざまな視点で答えてきました。 代表的な書物に「旧約聖書」があります。 「はじめに神は天地を創造された。」というよく知るフレーズのあれですね。 神は光と闇を作り、天を作り、海と陸を作ります。 実に七日間の大仕事ですが、七日目は神はお休みになられています。 今は人間は週休2日なので、神様より少しサボっていますね。 人類の文明があるところにはそれぞれこのような、世界の始まりの記載があります。 でもどれも答えとはいえません。 何故ならだれも見たことが無い、不思議な世界だからです。 ということで、よくよく考えれば不思議な、世界のはじまりについて今回はお話していきます。

    ■世界の始まりって?

    旧約聖書に書かれていることは、世界は地球を中心に考えられています。 そのため、神は4日目に月と星を作っています。 しかし皆さんが知るように、星は太陽のような恒星や、地球のような惑星なので、地球が始まりでは何だかへんてこな感じがします。 世界が始まるためには、まず宇宙が始まる必要があります。 では、宇宙の始まりは何か?と聞かれたら、たぶんビッグバンを思い浮かべることでしょう。 ビッグバンは火の玉だった宇宙が138億年前に忽然と現れて大爆発を起こしたとされる仮説のことですが、ビッグバンが現れる前は世界は一体どうなっていたのか? また火の玉宇宙はどこから現れたのか? 何だか禅問答みたいになってきますが、これは世界の始まりを考える時に、「時間」と「空間」の謎を解き明かす必要があるからです。 どういうことかというと、実際に議論されたことがある問題として、「空間の果て」について考えてみましょう。 例えば地球はその大きさや宇宙までの距離などの「空間」が分かっています。 つまり地球の「空間の果て」は理解されているが、その向こう側には「宇宙」という空間が広がっています。 では宇宙の果ては?と聞かれると、今は宇宙の果ての映像まで見られる時代なので、概ねその空間の大きさは理解されていますが、じゃあ、その宇宙の果ての向こうは何があるのか?と聞かれたとき、どう答えれば良いのでしょうか? 地球の向こうの宇宙のように、宇宙の向こうの何かの空間があるのではないのか? つまり空間の果てはどこなのか?は説明がつきません。 「時間」も同じことで、時間もビッグバンが始まった原始宇宙の前は一体なんだったのでしょう? そして時間の果てはどこにあるのか?どういう姿をしているのでしょうか? ちょっと頭がこんがらがってきますね。

    ■時間と空間とは一体なんなのか?

    宇宙物理学者の佐藤勝彦さんの著書から引いたのだが、中国の書物「淮南子」に、「天地四方これを宇とし、古往今来これを宙とする」という言葉があるそうで、まさに宇宙が「空間」と「時間」を表していることを表現しています。 この言葉通りに、物理学の世界に「時間」と「空間」を登場させたのは、かの有名なアインシュタインです。 それまでは「時間」や「空間」は不変のもので、科学の世界で論じられてきませんでした。 彼の相対性理論は時間と空間の物理学であり、彼の登場で、時間が必ずしも一定に流れるわけではないことや、空間が他の物質の影響を受けて変化することがわかっています。 一見聞くとそんな馬鹿な、と思われるかもしれませんが、例えば地上に居る人と、電車に乗る人が同時にボールを同じ力で投げます。 ボールは二者同時に手元に落ちてきますが、実際は電車が走っているわけですから、電車の中に居る人のボールは、電車の進む分だけ余計に動くことになります。 ボールは同時に落ちてきているわけなので、理屈上は電車に居る人は、地上に居る人に比べ、ゆっくりと時間が流れていることになるわけです。 実際の実験では極々細微な違いなので、分かりようもないのですが、これが光の速さにまで高まると、大きな違いとして体感することができます。 このように、物理学の世界に「時間」と「空間」を考えることで、宇宙の始まりというものが見えてくるようになります。 つまりビッグバンが起きた前の世界を論じられるようになったわけです。

    ■宇宙の始まりは誰の手によって起こされたのか?

    しかし、論じられることと、実際に解き明かすことは違っています。 アインシュタインも「宇宙の始まり」については大変難しいと考えていたようです。 何故なら始まりについては、必ずきっかけが必要だからです。 例えば電車の中のボールを上に投げて落ちる。 この時の物理法則は全て任意で設定できる。 何故ならボールを投げるのも、投げる方向を決めるのも人間だからです。 しかし、宇宙の起源では、どのように火の玉宇宙が現れ、爆発したのかという初期条件が分からないわけです。 何故地震が起きるのかは分かるが、いつ地震が起きるのかが分からないのと同じことです。 人智の及ばない始まりを説明するため、「神」という言葉を使い、宇宙の始まりを説明してきました。 つまり最初のきっかけは「神の一撃」によるもので、宇宙は神の手によって始まった。 しかし、当然のことながら神の手も何らかの物理法則に従うはずであり、昨今の研究で、別のアプローチから、「神の一撃」の説明がつけられつつあります。 この辺の話はまた次回。
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