サイエンス女子:1.はじまり

神様の一撃

(2015年05月10日更新)

  • ナナは悩んでいた。
    今度、桜花祭で行う演目がまだ決まっていなかったからだ。 毎年春先になると新入生の歓迎会も含めて行われる桜花祭は、ナナのいる女子高の行事で、各部活が、舞台に立って新入生のために色々なアピールをする催し物がある。 スポーツ系の部活では、部のアピール程度だが、文科系の部活はそこで行う演目のための練習を前年の秋ごろから始める。 ナナは今期の演劇部の部長に任命され、部長の最初の大きな行事として、この桜花祭の演目を纏め上げることが、代々受け継がれている仕事の一つだった。 しかし、もう冬になり、年も明けたというのに、まだ部員たちに何を演じるかさえ話せていない。 実はナナにはひそかに考えているプランがあった。 それは演目を「サロメ」にすることだった。 高校のしかも新入生を迎え入れる季節に「サロメ」はどうかと思うのだが、ナナにはどうしてもサロメを演目にしたい理由があった。 それは下級生のユラが、どうしてもナナの持つサロメのイメージと重なり、どうしてもユラに演じて欲しいと思うからである。 「私には絶対的な自信があるの。きっとユラはサロメのイメージと合うって」 そう断言できるのだが、しかしどうやってあの世界観を、高校の演劇にすれば良いのか? そのままの物語でも構わないが、それでは問題がありすぎる。 まずは、サロメがヨカナーンに口付けを求めるシーン。 このシーンだけでも、顧問の竹林先生が「そんな破廉恥なシーンは当校にふさわしくありません」と、眼鏡をクイッと上げながら叫ぶ姿が思い浮かんでしまう。 そしてサロメが踊る宴席の「七つのヴェイルの踊り」は、本格的な舞踏が無ければ興ざめしてしまう。 あのシーンをあの運動神経の無いユラが踊ることができるのだろうか? そして最大の難点は、サロメが踊りの褒美に願った首を切られたヨカナーンとのキス。 これは竹林ではなくても、たぶん部員からも、演じてもらいたいユラからもクレームが入りそうだ。 だけどナナはどうしてもサロメを演じたかった。 これから大学受験一色に染まり、演劇部の活動も桜花祭を最後に終わる。 まだ高校3年生は始まってはいないけれど、この後の1年間は進学に向けた孤独な戦いに入る。 最後に自分が思い描くものを演じてみたい。 ナナはそんなことを強く願うようになっていた。 このファンキーなプランを、まずは子どもの頃からの親友のキリに伝えた。 キリはナナと同じ学校だけど、ナナと違って運動部系に所属して、エース級の活躍をしている。 普段ナナとキリは一緒に帰ることも無いのだが、試験前になって、部活が休みになると決まって一緒に帰る。 キリは「サロメ」を知らなかったので、サロメの本を貸すことにした。 「サロメ」は短い話なのですぐに読むことができる。 キリはテスト期間中だというのにすぐに読んでくれた。 昔から彼女は頼みごとをするとすぐに対応をしてくれる。 立ち寄ったファストフード店でジャンクフードを食べながら、キリはナナに「サロメ」の感想を伝えた。 「話がグロくない?」 尤もだ。 人を殺した血で足を滑らせたり、首を切ったり、内容が漏れなくグロい。 しかしそういう世界だからこそ、サロメの美しさが際立つことをナナは熱心に伝えた。 「じゃあ、高校の演劇の題材としてはどうなの?」 これも尤もである。 だけどサロメのイメージに合う女の子がいて、その子にどうしてもこの演目を演じて欲しい。 ナナはキリにそう伝えた。 「たぶん、内容がそのままだと部員からも反対されない?」> しかし、どうしても私は演じたいの、とナナは言う。 「そのユラって子。そんなにきれいな子なの?」 キリは察しが良かった。 何故ナナがそこまで熱心に「サロメ」を演じたがっているのか? その理由を明確に確認する質問だった。 ナナはそれこそ天と地を両方を確認するかのように、首を縦に振った。 キリはナナの真剣な表情に、何となく嫌な気がしていたが、ナナが思いつきでも一度前を向いて走り出すと、なかなか止まろうとしない子だと知っていたので、それ以上は質問はしなかった。 キリは少し考えた風にしてから、一言つぶやいた。 「まずは無から始めないとね」 その意味するところをナナはすぐに感じ取った。 要は物語から一度離れるということである。 キリは昔からそういうところがある。 問題が起きたら必ず、全てをリセットして考える。 県大会で強豪チームとぶつかった時も、キャプテンであるキリはスターティングメンバーを一度リセットして考えた。 テストでも難しい問題に当たると、一度問題を解くために書いたメモを全て消してしまう。 「物語を無から始めさせるの。例えば時代、設定、つながり。そういうものを全てリセットしてみるの」 キリのアイデアは実にすばらしかった。 物語の根幹を変えてしまえば、グロテスクな部分は除くことができるかもしれない。 しかし、耽美的な世界をとどめておかなければ、サロメの美しさは表現できない。 「こう考えてみるの。いい?世界はまずは無から、強大な力を生み出した。」 ナナはキリが何のことを言っているのか分からなかった。 「強大な力はある1点から爆発的な力で広がっていったの。世界は待っていたの。その大きな力を外に放出する日を」 そういいながらキリは手のひらに食べていたパンのくずを一つ手のひらに乗せて、それを空に向けて跳ね飛ばした。 パンくずは店の照明を浴びて、どこかに行ってしまった。 「神様の一撃よ。神様が与えた一撃で大きな光とともに、一気に物質が外に向かって解き放たれていった。」 ナナは想像してみる。光が暗い空間に一気に大きくなり、やがていくつもの種類の光を生み出す姿を。 光の先にはユラが、美しい何者かに口付けをしている姿が思い描かれた。 サロメの中のワンシーンである。 まるでそこに無いのにそこにあるかのような感覚に包まれた。不思議な感覚だった。 「私はいつもこう思っているの。この世の始まりが生まれた時、例えば無の世界からどうして全てを生む世界が生まれたのって。 答えは一つ。無の世界に生み出されたこの世界は、ただの偶然からじゃないかって」 キリは珍しく饒舌だ。 キリがこんなに科学好きだとは知らなかったが、話にはどこか惹きつけられるものがあった。 「全てが偶然からだって思うと、今分からないことや上手くいかないことも、ひょっとしたらただの偶然でそうなっているだけじゃないかって。だから全てを一度無かったことにしてしまえば、もう一度違う偶然がやってくるんじゃないかって」 キリが何のことを言っているのかは、ナナにはこの時は分からなかった。 だけど、世界を生み出すために、神様が一撃を与えるという言葉はとても印象的だった。 ナナは白い衣装をまとった神様が、地球を蹴っている姿を想像した。 「まずはサロメの世界を崩してみないと。 そうしたら新しくて、今考えているような問題も無くて、しかもとんでもなくすばらしい姿が顔を出すかも。 いずれにしても今のままでは何も始められない」 そういってキリは微笑んだ。 だけど、キリの笑顔はどこかさびしそうだった。
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