宮本輝 蛍川

物語の中の英子が、中学校の時に好きだった彼女に似ていると思った

(2012年01月更新)

  • 僕は比較的初心な方で、初恋も人より遅かった。 僕の初恋は中学校2年生の時で、同じクラスの勉強がよくできる女の子だった。 その頃の僕は運動神経も良くも悪くもなく、勉強もクラスでも中の上くらいで、取り柄と言えば、学校の先生からも勧められた「吉本に行け」※の言葉通り、ただ面白いだけの子供だった。 そんな僕が好きになった子は、クラスでも人気があって、特にこれという輝きはなく地味なのだが、活発さと明るさを持った、素敵な子だった。 奥手な僕は、その子のことを意識しない振りをして、一方ではいつも彼女を笑わせたいと思っていた。 しかし、何分奥手なものだから、彼女に気持ちを伝えたり、積極的に話しかけたりはしない。 ただ遠くで思っているといういじましい恋心を抱いて、毎日過ごしていた。 僕は彼女に近づきたくて、よく勉強をして一時的ではあったが、上位の成績を取った。 それきっかけで、同じクラスの頭のいい奴(所謂私立受験失敗組みで、グリグリメガネをかけたガリ勉っぽい感じの)が、僕の所に来てテストの点数を聞いてくるようになる。 だけど僕の興味はテストの点数ではなかったので、そいつの行動がただ面倒臭いだけだった。 しかし、僕はほぼ満点に近い点をテストでとっても、これまでよくふざけて授業を妨害したり、美術の作品を適当に書いて、友だちとウノをしたりと、素行が悪かったこともあり、通知表はそれほど良い結果では帰ってこなかった。 その頃通いだした塾の先生には「お前はテストの点数はいいのに、何で通知表はこんな悪いんや」と不思議がられた。 見た目も真面目そうな僕の正体を、塾の先生は分かっていなかったのだ。 中学校2年生の冬になったある日の夕方に、塾に向かういつもの道を自転車で走っていた。 塾は大阪の東三国駅の程近くにあり、僕の家からは自転車でも20分以上はかかる距離にあった。 当時はもう部活動も辞めてしまっていたので、家には4時過ぎくらいに帰っていたので、僕は家でダウンタウンの番組でも見ながら宿題とかをして、それから自転車に乗って塾に出かけていた。 塾までの道は新大阪駅に向かう大きな道路からセンイシティーという繊維の大型卸街を抜けて、学校近くの好きだった女の子が住むマンションの横を走って行く。 実際はほかの道でもよかったのだが、何となくその道すがら彼女に会えることを期待していたのかもしれない。 しかし、実際は、彼女と出くわすことはあまり期待できなかった。 それは彼女が部活をしていなかったため、彼女の帰り時間が僕の塾に行く時間とは重ならないからだった。 しかし、今でも覚えているのだが、その日はセンイシティーを抜けた辺りから、妙な感覚があった。 何だか好きだった彼女に出会えるような気がしたのである。 僕はゆっくりといつものようにコンビニの横を抜けて、反対車線に入らずに、マンションの横を走った。 すると本当に道の向こうから彼女が学校から帰ってくる姿が見える。 僕はその時に得も言えない幸せを感じ、心が踊った。 これまでなにやら分からない感情で彼女のことを感じていた気持ちが一気に弾けて、僕は本当に彼女が好きなんだと思った瞬間でもあった。 誰にでもある純粋な初恋の話である。 僕はその後も彼女のことを思う気持ちをおくびにも出さずに、学校生活を送った。 だけどそれ以来同じ道を走っても彼女と会うことは一度としてなかった。 高校になって僕は彼女とは同じ学校に行けず、彼女が好きで頑張って勉強した時の貯金だけで入った高校で、毎日何だかよくわからない生活を送っていた。 その当時の何だかぐちゃぐちゃした感情はあまり思い出すことができないのだが、僕はそのころから次第に本を読むようになっていた。 もともと物語に触れるのが好きで、家にも母が本が好きだったのか、多少の本はあったので、本を読むこともそんなに違和感はなかった。 日曜日の服部緑地という噴水のある公園で、寝そべって本を読んでいると、何となくだが自分が作られていくような気がしていた。 そんなある日「蛍川」という本に巡り会った。 今も書棚にある本の巻末を見る限り高校一年の秋口に買った本のようだった。 小説を読み進めるうちに僕は、この物語の中の英子が、中学校の時に好きだった彼女に似ていると思った。 実際は全く違うのだろうが、主人公の竜夫が寄せる英子への思いと、当時の僕の恋心が何故かオーバーラップして、英子の姿をリアルに感じてしまった。 僕は当時ある女の子に付き合ってくださいと告白されていた。 正確に言うとはっきりとそう言われたわけではなく、人づてにそれを聞いて本人もその気だったようだが、僕はチェリーのくせに付き合うのを断った。 僕は竜夫のように、初恋の彼女に蛍の群れを見に行こう、と誘いたかった。 しかし、それがどうしてもできず、僕はすっかり臆病で、このままじゃいかんと思い、何だかわからないままに彼女に告白をした。 もうなんて言ったのかさえ覚えてはいないが、もちろん彼女の返事は「No」であった。 それは突然だったし、もうとうに僕と彼女との生活は違っているのだから、当然と言えば当然である。 だけど僕はこの日にやっと初恋を終わらせることができたのである。 その後僕はさる予備校で彼女に出会った。 僕はその予備校には「モグリ」で、一度の就職の後再度大学を目指すために通っていた。 エレベーターで偶然会った彼女に、僕はしばらく思考が停止してしまったが、やがて、ああ、中学校のとき彼女は将来、学校の先生になるために教育大学に行きたいと言っていたことを思い出して、夢にむかって頑張っているんだと思った。 その瞬間に、向かうべき方向が無い自分に、また、少し嫌気が指した。 僕は今でも蛍川の本を見ると初恋を思い出す。 そしてその本は今でも僕の家の本棚にひっそりと、そして大切に保管されている。 ※吉本行け…関西の人がよく言われる言葉。古くは明石家さんまが先生に授業中に突然言われたエピソードが有名。
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