特別高等警察

主な仕事は、言わば国体の維持である

(2014年02月04日更新)

  • ちょっと前になるが特定秘密保護法なるものが出され、国会が紛糾していた。 名前の響きからか、戦前の検閲や言論統制を連想させる治安維持法的なイメージがなんとなく横行して、テレビでも喧々諤々やっていたのだが、僕のような一市井には、なんのこっちゃの法律ではある。 確かに名前はちょっとおっかない感じだが、仮に今、治安維持法が発動されても、どういった影響があるのかしらんと思ったりするのだが、秘密保護だと言われても、対した秘密も持っていないので、だからどうしたという気持ちになってしまうわけである。 わからないので調べてみると、どこかの新聞にこの法律の例えとして、「友達の自衛隊員が、ミサイルの弾道を飲みの席で話して、それを聞いていた人がブログに書いちゃうとその人は豚箱行き」みたいなことを書いており、おおっ、それはなかなか危険だなあとは思いはしたのだが、実際は仮にそういうことがあったとして、且つそれをブログに書いたとしても、どうやってそれを秘密を保有する人間から聞いたと証明できるのだろうか? 元CIAの職員が亡命覚悟で書いたこととかならわかるのだが、どっかのおねえさんがアメーバブログのような娯楽性の高い優れたコミュニケートの場で書いた内容に、国家の機密が隠れているかもしれないと思う人がいるのだろうかと考えると、首をかしげてしまう。 まあお前が書いているものも大したもんじゃねえじゃねえかと言われると返す言葉もありませんが、それくらい普通の人の言葉にそんな大仰に向かい合う必要はないのではないかと思う次第である。 そんな国家はずいぶん肝っ玉の小さいものである。 このネット社会で、不特定の様々なデータがそれこそきら星のごとく存在する現代に於いて、そもそも情報を規制することに何の意味があるのかがちょっと疑問ではある。 それはまるで「お前俺の悪口をどこかで言ったらボコるからな」と脅かすガキ大将のようで、しょうもない脅しくらいにしか感じられないのは僕だけだろうか。 まあ、国家がやるんだから、ビビる気持ちは分かるが、僕のようなパンピーには一生そんな特定情報に触れる機会はないと思うので、国益に叶うなら好きにやってください、ではある。 とまあ前置きはさておいて、今回も少し話がそれ、特高警察について書いてみよう。 というのも、現在国際連盟脱退を書いたのだが、その方針を決めた2月22日の新聞には小林多喜二の死亡記事(昭和8年2月20日逝去)が載ったそうだ。
    小林はプロレタリア文学の旗手で、殺害は特高警察による拷問によるものだった。 この事件の一点だけとっても、当時の日本が言論規制の中にあり、特高と呼ばれる恐ろしい機関が存在していたと想像してしまう。 でも実際に特高ってどんな組織だったのか知らない人は多いのではないかと思い、折角調べたので書いていこうと思う。 急にこれも話は変わるのだが、三谷幸喜さんの作品に「笑の大学」というものがある。 ざっと内容を紹介すると、警視庁の取調室で演劇の台本の検閲を受けていた喜劇作家と検閲官がのやり取りが中心で、国が戦争に向かっていった昭和15年という、言論・思想統制が厳しく、すべての娯楽を排除する時代の中で、検閲官は笑いを排除しようとし、喜劇作家は笑いを残そうとするこのやりとりだけで物語が進められる。 三谷幸喜さんは舞台を経ているので、テーブルムービーとも言える、動きの少ない机の前行われるような物語の進め方が本当に上手な人であると、普通に感嘆するのだが、この映画に描かれる検閲こそが特高の仕事のひとつと言える。 特高が出来た背景には、明治時代にまで遡る。 明治43年に大逆事件という事件がおこります。 この事件では社会主義者グループだった幸徳秋水という人達が、明治天皇暗殺計画を謀議していた角で逮捕される。 この事件の背景には、日本の国体と異なる社会主義勢力の根絶やしを図ったフレームアップだったと言われているが、とにかく思想的にまずい人たちをちゃんと見張らんとね、といった趣旨で明治44年に警視庁に特別高等警察課が設置される。 その後、大阪や名古屋などの主要都市にも特高課が置かれ、昭和3年の三・一五事件と言う、社会主義、共産主義の弾圧事件が起きると、呼応するように全国府県の警察部の中に特高課が作られることになる。 これら全国の特高課の総元締めを担当していたのが内務省警保局保安課で、内務省は書籍を取り締まる出版法、新聞雑誌を取り締まる新聞紙法に基づき、検閲を行っており、その検閲によって行われる差し押さえ等の処分については各県の警察部に権限移譲されていた。 今も昔もデスクワークは現場に出向かないんですね。 つまり警察で見つけたまずいものは、決められた範疇であれば警察で片付けて良いということだから、当然のことながら強健な対応も行われるわけである。 しかしその他判断のあるものは、当然ながら内務省の図書課というところに確認を行うことになり、地方の特高の仕事の一つでもあった。 その後、特高は日本が戦争色を強める中で、挙国一致体制を維持するための反戦運動の取締や、新宗教の監視を行い、これがときに厳しい言論規制を呼び起こした。 新宗教の弾圧といえば、大正10年大本事件なども、特高の仕事ではないにせよ、国体維持を基本とした国の方針としての弾圧だったと言える。 その後1925年に治安維持法が出され、法的根拠としての取締が行えるようになり、後の小林多喜二の虐殺につながる。 特高の主な仕事は、言わば国体の維持である。 このあとに展開される二・二六事件でもこの国体維持が頭に存在している。 特高の恐ろしさは、この国体維持こそが、弾圧やデマの元になっており、まさに大義の前の小事と言わんばかりに、間違った行動を起こしてしまうことにある。 今の社会に国体という言葉は無い。 国民体育大会だと思っている人がほとんどである。(そんなことないか) そのため、天皇制をはじめとするこの国体について理解しておくことが、当時の日本人の考え方に近づくことであり、時代を理解していくことにつながるのである。 出典・資料 ウィキペディア 「特高警察」「大逆事件」
■広告

にほんブログ村 歴史ブログへ
↑↑クリックお願いします↑↑

Previous:国際連盟脱退 Next:陸軍内部の争い 目次へ