国際連盟脱退

栄光ある孤立

(2013年12月24日更新)

  • リットン調査団の報告書を受けて、昭和7年11月21日には国際連盟では理事会が開催された。 日本の全権として派遣されたのは松岡洋右という人で、アメリカでの居住歴も長く大学もオレゴン大学で法学を学んだという、所謂国際的センスを身につけた人で、満州鉄道の理事をしていた経験もある人だった。 リットン調査団の報告書は、先にも述べたように日本の権益を認めつつも、満州国を認めない内容だったため、松岡は報告書を批判する内容を連盟に提出し、会議に臨む。 当然乍ら話は並行線を辿るため、理事会では結論が出ず、12月6日の総会に持ち込まれる。 総会でも、松岡は満州国と日本の行動についての批判の集中砲火を浴びることとなる。 松岡の仕事はいかに連盟を脱退せずに、満州国での日本の利益を担保できるかにあった。 時の世界情勢では、脱帝国主義の世相に反映され、あるいは先の大戦の反省からか、植民地支配の否定と民族自決の精神があり、満州国における日本の行動はまさにその理念に反する行動であった。 しかし、世界恐慌や大戦による疲弊により、列強国はその理念は尊重しつつも、未だ植民地支配に固執していた傾向が有り、その分日本もある程度楽観視していた部分があったのかもしれない。 小さい国は批判はするだろうが、列強国は同じ穴の狢だろう。 そんな思いもあったのかもしれない。 実際に中国に大きな利権を有するイギリスやフランスは露骨に批判を上げず、日本を擁護する向きもあり、松岡の小さな勝算に、その列強の弱みのようなものも算出されていたのかもしれない。 12月8日の総会で、松岡は1時間強の大演説を、カンペも見ずに行う。 その松岡の弁舌に各国の代表も握手を求めるほどだったが、それでも結論は出ず、土俵はイギリスが提案する19人委員会なる組織に託される。 列強もすねに傷ある身なので、ひと思いに潰せなかったのでしょう。 この頃になると、新聞何かも満州国承認を連盟に認めさせろと言う論調が多くなり、朝日や毎日などの名だたる新聞各社が共同で「満州国を認めさせないよダメよん」的な声明を新聞に出したりする。 同時に世論もこれまで三国干渉や日露賠償問題などで苦湯を飲まされてきた経験を思い出し、「そうだそうだ、満州こそは日本の生命線だ」などといって盛り上がる。 論調も昭和8年に入る頃には、「認めなければ連盟脱退だ」なども出始め、いよいよ危ない方向に向かい始める。 内田外務大臣なんかも「焦土外交」とかなんとか言って、国際連盟脱退をほのめかし、軍部も概ねその意見に同調したりするものだから、内閣もやむを得ず、「じゃあ満州国が認められなかったら脱退ね」と許可を出したりする。 そして2月24日の総会で満州国からの撤退勧告がほぼ満場一致で採択されると、松岡洋右はあらかじめ用意していた宣言書を読み上げ、「さよなら」とかなんとか言って連盟をあとにしてしまう。 松岡さんは苦渋の思いでこの宣言書を読み上げ、あとにも「連盟脱退は吾輩の失敗であった」と語っていたというが、新聞ではこぞって松岡さんを英断を振るった英雄と持ち上げるから立ちが悪い。 日本国民も新聞に乗せられたのだと思うが、松岡さんの行動は、列強の思惑に屈せず、その場を勇気を持って退いた大英断を下した政治家に映ったのかもしれない。 寧ろ松岡さんの行動によって日本人特有の外国人排斥の島国精神に火をつけたのか、列強の野郎どもに一泡食わせてやったくらいに思ったのかもしれない。 実際にある新聞では「42対1は正義の数ではない」などとぶち上げ、陶酔感さえ感じられる内容のものもあったようだ。 国際連盟脱退は当初日本の総意ではなかった。 しかし、軍部の満州国への強い執着によって、いつの間にか連盟脱退への道を歩むことになっていった。 その影響を考えたときに、国際連盟の脱退は言わば世界を敵に回す行為であり、対外的な経済制裁のみならず、国外からの情報の制限や、他国侵略に備える軍備の拡大を生み、事実上の孤立を生んでしまう。 今も昔も輸入に頼る日本にとって、これは死の宣告に近しいのは現代人から見れば小学生高学年でも知っていることである。 誰もが考えるリスクを、満州国に執着するあまり見失い、連盟を脱退した場合に経済制裁は起こらないだの、連盟はただの機関で、国同士の交流は変わらないなど、妄言のような言葉が紙面や、それに基づいた政治家や軍人の言葉から流される。 国際連盟脱退が象徴するものは、国内テロによって生み出された国内政治の空白が、物事をよくわからない人たちによって歪曲され、国をますます危険な道を歩ませていったということで、同時にその状況を作り上げた新聞と、踊らされた国民による無知蒙昧な見識が、日本を脱退に追い込んだと言える。 日本が戦争に向かうきっかけは、巨大なポピュリズムによって作られたことを、この事件から学ぶことができる。 出典・資料 ウィキペディア 「松岡洋右」 野村宗平「日本の国際連盟脱退をめぐる新聞論調」 半藤一利「昭和史」平凡社
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