満州国建国

中国国内の問題なので、それは国際社会としても受け入れられるのではないか

(2013年12月19日更新)

  • 国内でテロの目が出ていた昭和7年の初頭。 満州を蹂躙していた日本軍は国際世論から標的にされ、上海事件をきっかけにさらなる拡大を進めようとするが、天皇陛下の待ったで事実上拡大は止まる。 しかし、面白くないのは満州にいる関東軍で、そもそもの満州事変のきっかけは中国の反日運動にあって、言わば「売られた喧嘩」を買って侵攻を進め、欲が出て満洲を取っちゃおうとして取れたんだから、何を今更後に引く必要があるんだ、という所でしょうか。 とは言え天皇陛下のご意思には逆らえず、国外の体裁もあって、考えた結果満洲を独立した国にしてしまえば、中国国内の問題なので、それは国際社会としても受け入れられるのではないか、と考える。 なかなかマッチョな考えである。 当然に日本国が前に出て、「お前こうしろ」とやると、それは裏が透けて見えてしまうので、当然中国人の間で決めなさいとなり、満州の3省奉天、黒龍江、吉林のトップに話をさせて、独立への動きを着々と行わさせる。 満州事変で満州全土を制圧していた日本軍の言うことなので、当然話し合いは日本軍部の意向に沿うものであるのは明らかなのだが、あくまで中国人同士に決めさせた体を取り、3月1日には吉林省にある長春と言う場所を新京と名を変えて首都に、暫定的ではあるが、元首に清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀(あいしんかぐらふぎ)が就くことになった。 溥儀が元首として選ばれたのは、清朝の皇帝で満州族出身であり、清朝崩壊後に日本租界地に身を寄せていたこともあり、日本の傀儡として申し分ない存在だったと考えられる。 また、満州国は日本の植民地では都合が良くないため、民族自決の原則に基づく国家として、日本人・漢人・朝鮮人・満州人・蒙古人による五族協和と王道楽土を掲げており、且つ中国のみならず国際社会からの受け入れを考慮した上で、溥儀は最良のブランドと言えた。 溥儀自身も清朝復辟を熱望していたこともあり、それを条件に説得に当たった関東軍特務機関長だった土肥原賢二に二つ返事の了承を出した。 かくして関東軍の後押しで満州国独立を宣言し、怒り心頭したのは中華民国を率いる蒋介石だった。 蒋介石は本土が了承しない分離などありえないと、大抗議をぶち上げたため、呼応するように反日運動も加速化する。 まあ至極当然の話である。 同時に国際社会も、そもそも満州問題ってどうなのとなっており、蒋介石の国際連盟への訴えもあって、じゃあ調べてみて日本が本当に悪いかどうか判断してみましょうかと、イギリスのリットン卿が調査団を組織し、溥儀が国家元首として任命された2月29日に日本を訪れていた。 その話は以降。
    出典・資料 wikipedia「満州国」 半藤一利「昭和史」平凡社
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