満州事変5

中国の情勢と満州事変後の侵攻

(2013年06月22日更新)

  • 満州事変後、関東軍は爆弾を仕掛けた柳条湖のある奉天を制圧すると、ぐんぐん満洲を進軍していった。 この侵攻の速さには中国国内の事情があった。 ということで、少し話は戻るが、ここで中国の状況について触れておく。 1924年1月国民党を率いる孫文はソ連と手を結び、第一次国共合作を行う。 国共合作とは読んで字のごとく、孫文の国民党と共産党が手を結ぶ、ということだが、この決断はソ連の莫大な資金提供を得るための、言わば苦肉の策だったと言える。 そもそも孫文の掲げていた主義と、共産主義が合うはずもなく、また孫文がロシア革命後の共産党勢力以外の粛清の歴史を知らないとも思えず、いずれ中国も共産圏に飲み込まれる危険性があることは、恐らく理解していただろう。 言い換えればそれだけ中国国内が混乱していたということなのかもしれない。 国共合作によって、国民党は共産党と手を組み「連ソ 容共」の方針を進める。 歴史の知るとおり、この方針の結果、共産圏を増やすべく暗躍したソ連の手助けを借り、国民党は国民革命軍を組織し、「北京軍閥政府打倒」を目的にした、北伐を開始する。 軍事力の凄まじい差で、現政権に加担する軍閥を蹴散らし、孫文亡き後司令官となった蒋介石率いる国民革命軍は、南京を抑え、共産党の国共合作軍は武漢を制圧してしまう。 しかし、ここで当然と言えば当然だが、そもそも中国の民主的独立を掲げていた孫文の意思を継いでいる蒋介石の国民革命軍は、資金力を背景に、急速に力をつけてくる共産党軍に警戒心を抱き始める。 結果、上海で反共産党のクーデターを起こし、南京に右派の国民政府を樹立する。 以降国民革命軍は「漢口事件」「南京事件」に代表される、略奪や殺人も含めた外国人排斥運動を行いつつも、同時に共産党との対立色を強める。 因みにこの時に米英などの居留地も当然襲われ、米英は砲艦などで攻勢をしかけるが、後に大きく方向転換を行い、中国政府との恭順姿勢を見せることになる。 これは、大きく分けると二つの理由があり、一つは中国国内の警備に手が回らなかったことと、日本の中国国土についての野心を疑いだしたからだといえ、当時の幣原外相の掲げた中国融和外交で、中国国内の暴動に対して、日本が軍事的報復を行わなかったことが、米英、殊イギリスは日本のこの行為自体が、「中国と組んで自分たちの権益を奪う」行為に見えたようだ。 今も昔も日本の外交は弱腰だったということなのだが、これが後に満州での孤立を生む結果となってしまう。 その後、蒋介石の南京政府は、本来の目的である北京政府の打倒を目指し北伐を開始するため北上ルートを登っていくが、そのルート上には日露戦争の賠償として租借している山東省があり、南京・漢口で痛い目を見た日本は、日本人居留地を守るため、山東出兵を決断する。 これには中国の当時の3つの政府(南京・武漢・北京)は全て抗議を行い、また、この地域に日本以外の外国人がいなかったこともあり、この日本の行為が、後の集中的な日本排斥運動の矛先になる要因となる。 出兵が反日を助長させることになり、満州での反日・侮日デモにつながっていくわけである。 結局二度の山東出兵後、蒋介石は北京政府を打倒し、中華民国を樹立し、次は満州だと宣言をする。 こう言った流れが日本、とりわけ軍部に焦りを感じさせ、またこの後エスカレートする反日デモが、国民の満州事変に対する、よくやった感を作り上げている。 最近の反日デモや、領海侵犯問題などで、中国の条約を破った行為などを目の当たりにすると、当時の日本人の対中国に対する感情も、良いことではないが何となくだが理解はできる話ではないだろうか? そして満州事変が起こる。 この頃の中国本土は権力争いに明け暮れ、南京政府を率いる蒋介石と、広東に孫文を敬愛した革命の人である汪兆銘が国民党内で互いに争い、また、ソ連の力添えもありぐんぐん勢力を伸ばしていた毛沢東の共産党とあわせて三つ巴の様相を呈していた。 国内のことで手一杯の彼らは、日本軍など相手にできようはずもなく、基本的に無抵抗だった張学良の軍を、日本軍はどんどん制圧し、北に西に領土を拡大させていく。 同年11月には、黒竜江省チチハルや、翌年1月には、錦洲を占領する。 この進撃にこれまで満州での数々の反日にさらされてきた軍部や国民はさぞかし胸のすく思いだっただろう。 しかし、この進撃が後に日本の明暗を分ける結果となっていく。 調子に乗った日本は、そのまま山海関という、満州と中国の国境あたりまで歩を進めようと計画する。 ここは万里の頂上の始まりで、ここまで国を蹂躙されると、中国人としては「ちょっと待たんかい」となる。 しかし、日本はこの期に満洲をとっちゃえと、石原莞爾が考えた、満州国建国策を遂行しようとしているわけなので、これではもう本格的な戦争は避けられない。 同時に国際社会も「そりゃあ日本さん、やりすぎでっせ」ということになり、特にアメリカのスチムソン国務長官などは、「明らかに侵略戦争である」と大層お怒りになってしまう。 しかし、日本も来た道は引き返せない。 ままよと満州に傀儡政権を作り、中国からの独立国家を建国するというプランに向けて走り出す。 出典・資料 中西輝政「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」PHP新書
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