満州事変4

大正デモクラシーから満州事変までの流れ

(2013年06月14日更新)

  • 今回は満州事変のお話で、少し視点を変えてみる。 これまで、満州事変は世界恐慌による不景気打破の国内の気運と、張学良をはじめとする満州周辺の軍閥や、国民革命軍や中国国民による暴動や、反日運動による満州鉄道の妨害が絡み合い、日本陸軍の謀略によって戦争が始まったことを書いた。 しかし、歴史を学んでいて、腑に落ちないのは、前にある大正デモクラシー(1910年から20年位の間)の自由な雰囲気から、何故あの鉄靴響く軍国主義に移っていったのだろうと、思ったことはないだろうか。 大正デモクラシーは今でも「モダン」などという言葉が残されているように、西洋の文化を積極的に取り入れ、自由を愛した時代が、軍国主義に入る比較的近い時代に、確かにあったのである。 満州事変までの道のりを考えた時にキーワードとなるのはやはり恐慌だと思われる。 昭和4年に起こった恐慌はじわじわと日本の経済を逼迫させていくのは以前にも書いたとおりである。 それまでは軍人が軍服を来ているだけでもなじられたというのに、満州事変前後の昭和6~8年になると、子供達や学校では軍歌が歌われ、戦争ごっこなる遊びが流行りだす。 この経緯をもう一度詳しく掘り下げてみよう。 恐慌が起こってから世界の経済情勢は、ブロック経済に移行していく。 学校で習ったので思い出して欲しいのだが、要は輸入シャットアウトの閉鎖的経済活動を始める。 恐慌の原因は株の暴落で、投資者が市場と一定の距離を置く、ないしは市場から離れたことで起きたと習ったと思うが、基本は消費不足の状況に対し、過剰投資を行なった結果、商品価値が下がり、消費活動が抑えられたと見ている学者も多い。 そのため価格の調整は急務で、アメリカでは、かの有名なルーズベルトの「ニューディール政策」を進め、政府が介入することで、ダムだの道路だのを作り倒し、公共投資によって国内の雇用を創出した。 イギリスでは、植民地の多い国なので、自国以外の輸入品を完全シャットアウトする、所謂保護貿易に踏み出す。 資源のある国(イギリスは人のモンですが)はある意味それで良いのだろうが、無い国は徐々に社会主義化していく。 顕著な例はドイツ、イタリアで、ドイツは先の大戦の敗戦によるフラストレーションからか、ナチスが台頭し、極端な民族主義を掲げ、国家形成を社会主義的に形成していく。 イタリアはムッソリーニが独裁的に社会主義展開をしていく。 そんな中で、当時から資源の乏しい輸出立国日本は、どういう立場に追いやられていくのか。 不景気というものは、今の時代もそうだが、中央より地方がひどい惨状になるもので、特に明治からの輸出産業だった養蚕業は打撃を受け、農作物は価格が下落する。 政治が救うのかと言えば、今と同じように、政策より政局に追われる始末で、経済的な良策は期待しようもない。 当然乍ら、大正の浮かれ気分はじわじわと薄れ、気づけばロシアがソ連へと名前を変え、じわじわとコミンテルンの恐怖が大陸沿いにやって来る。 危機感を感じたのは、平時に給料泥棒呼ばわりされた軍人で、徴兵制度でやってきた農家の兵士たちの実情を聞くうちに、これは何とかしなければと、男気満載の動きを始める。 日本人はやっぱり真面目なんですね。 そうこうしているうちに、関東大震災や辛亥革命後のソ連の暗躍によりそこらで外国人排斥運動が巻き起こった中国が、そこらで暴動を起こす。 当然これら動きは日本にも向けられ、特に軍を置いていた満州は、先にも述べたように大変な暴動に苛まれた。 そうして内には不景気、外にはソ連の影と、中国の反日運動があり、内憂外患状態の日本は、やがてその両方を解決する満州の領有化に思想が傾斜していく。 これまで満州事変時に行ったことを、資料・出典を下に書き進めてきたのだが、大まかな歴史の流れを見ると、日本が満州に目を向け、しかし良識ある考えの中で帝国主義的な考えを遂行できない政府に変わって、正義感溢れる軍が、国民の期待を背に謀略を行ったと取れなくは無い。 こうして見ると、資源を有する強国が引き起こした経済危機に対し、対応できない資源の少ない民族のフラストレーションが、一気にあの戦争への道を作ったように思える。 大東亜戦争は日本の侵略戦争だったのか、自衛戦争だったのかは個人の解釈に任せるが、少なくとも支配欲や領土拡大だけを意図として行なったものではないことは確かである。 そこにおごりや、戦争を軽く見ていた国民の思想も、軍の見切り発車もあったとは思うが、それを理解した上で、戦争に突入しなければ行けない歴史的状況が、随所にあったのは確かである。 当然そこに戦争による解決を見ようとしたことは、やはり許されることではないのは言うまでもないが。 出典・資料 中西輝政「日本人としてこれだけは知っておきたいこと」PHP新書
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