満州事変2

満州は日本の生命線である

(2013年06月08日更新)

  • 組織がある方向に向かってことを成そうとする場合、一番大切なのはその信念となるものである。 例えば会社ならば「事業の拡大」であり、教育ならば「世界に通用する人材の育成」とかだろう。 しかし、立派なお題目も、言葉だけならば何をすべきかわからないので、その信念を形にしてやる必要がある。 事業の拡大をするためには、どういう商業都市に展開していくかをリサーチする必要があるだろうし、世界に通用する人材育成を達成するには、どういったグローバリゼーションな能力をつけるためのカリキュラムが必要かを、細緻に亘って組み立てる必要があるだろう。 こう言ったものを描ける人間が、結局優秀な人ということになるのだろうが、石原莞爾という人は、この辺の妄想を形にすることに優れた人だったようである。 満州の私見を元に、参謀本部の優れた高級士官達は計画を練り上げ、「満蒙問題解決方策大綱」をまとめあげる。 内容をざっくり書くと、満洲を独立させて、親日の政権を作り、日本の思うように管理していく、というもので、満洲を独立国にしてしまおうと考える。 わかりやすく言うと、中国が沖縄に親中政権をするため、琉球王国の末裔か何かを皇帝にして、日本から独立させちゃえ、と言うようなもので、そりゃ反日も増えるわなあ、とは思うような考えである。 さて本格的な満州の計画を練りながら、一方で軍は、国民の同意を得るための方法も考えていた。 前回張学良のお父さんの張作霖を爆死させた時は、国民、とりわけ新聞社に反発があったため、今回は慎重に期するに越したことはなかろうと、参謀本部が対マスコミを行う。 簡単に言うと、満州占領のための戦争に至る号令をかけるために、マスコミを操ることを考えはじめたのである。 この動きが後の嘘と欺瞞に満ちた大本営発表につながるわけだが、満州事変前までは、満蒙問題に慎重だった新聞、ラジオも、今回の満州事変では、軍部賛歌を合唱し始める。 これには理由があって、一つは、不景気が続く中、世論が戦争をすることで起こる戦争特需に期待したことであり、国民の期待に合わせることが、新聞の売り上げを担保することになるので、結局は新聞社の売上確保のためだと考えられる。 実際に軍部の満州対策が固められる昭和6年から、新聞はこぞって戦争の大合唱を初めている。 子供たちの間でも戦争ごっこが流行り、世の中が一気に戦争ムードに変わっていった。 今も昔もマスコミによって世論は作られることがあるようで、毎日のように新聞が戦争を煽る記事を書き立てるものだから、皆がその気になっちゃったんだろう。 また、満州についてはなかなかのフレーズが流布しており、後に日本を戦争に導くきっかけとなった国際連盟脱退の際の外相である、松岡洋右が言ったフレーズである「満州は日本の生命線である」が国民の感情に合致したのか、流行り、その後「二十億の国費」「十万の同胞の血」というような、満洲を取るきっかけになった日露での被害を挙げて、国民の感情を煽っていく。 はやり文句というものは恐ろしく、国民は「満州は日本のもの」とどこかで漠然と感じるようになっていく。 戦争に向かう準備は整った。 後はGOサインを待つだけである。 それは次回・・ 出典・資料 半藤一利「昭和史」平凡社
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