徴兵制度と赤紙

「赤紙」はこの予備役に送られる入隊の知らせで、単純にその通知書が赤かったので赤紙である

(2013年04月24日更新)

  • お隣の国韓国では徴兵制度がある。 徴兵制度を未だ維持する国は意外と多く、有名な国だとスウェーデンやドイツ、ロシアなどは徴兵制度を継続しているそうだ。(WIKIより抜粋) 軍隊及びそれに準ずる組織を保有する国の170カ国中、60カ国強が徴兵制度を行っているというから、僕のような気弱なもやしっ子は、まさに日本に生まれて良かった、である。 徴兵制度の利点は、愛国精神を国民に持たせることや、軍隊というものの一定の理解だと思われるが、近年この徴兵制度を廃止する動きがある。 近代の戦争はとにかく人同士が目の前で殺し合うものではなく、遠距離から敵の拠点を攻撃したり、撃ってきたミサイルを撃ち落としたりという、近代兵器どうしのぶつかり合いが多いため、徴兵制度で集まったにわか兵士が、近代的な兵器を扱えるかといえば、当然NOなのである。 最新の軍備施設を扱うにはそれなりのスキルがそもそも必要で、どこかの世間知らずの3代目が幅を利かせる独裁国家ならいざ知らず、近代の戦争において、素人の活躍する場所は無い。 とは言え、人間の精神力を高めたり、愛国精神を植え付けるには絶好ではあるので、そういう意味で多少の金はかかっても、徴兵を維持している国は少なからずあるように思う。 ご存知のように日本にも徴兵制度は存在していた。 本エッセイの主題でもある大東亜戦争において、徴兵制度はまさに国民1億火の玉の勢いで、終戦前年の昭和19年には、何と800万もの兵隊さんがいたそうだ。 当時の国民が7500万だそうなので、10人に一人が兵隊さんというわけだ。 無論この殆どは、徴兵された一般人で、職業軍人は5万人程度だったので、どれだけの人が徴兵されたかが分かるだろう。 徴兵制度は別の項でも述べたように、山県有朋が完成させ、当時の憲法にも記載されている、国民の義務だった。 17歳から40歳までの男子は兵役に就く義務があり、当初は学生や病気のあるものは除外されていた。 通常は満二十歳になると徴兵検査を受け、合格すると新兵として2年間は兵役に服することになる。 新兵になると、本籍地のある原隊(所属する部隊)に入隊し、軍隊のしきたりを教わる。 新入社員が、「名刺の渡し方」や「お辞儀の仕方」を教わるのと同じように、「敬礼の仕方」や「行進練習」などを行い、あとにも触れようと思うが「軍人勅諭」と呼ばれる、国際ルールと照らせば、間違いだらけの軍人のあり方のようなものを教わる。 このような軍事訓練を2年ほど経験すると、除隊となるのだが、除隊後も予備役として数年間は登録され、この期間中はいつ兵役に駆り出されるかわからない状況だった。 よく映画とかで観る、「赤紙」はこの予備役に送られる入隊の知らせで、単純にその通知書が赤かったので赤紙である。 兵士の動員は参謀本部にあった編成動員課というところで、作戦に基づいて必要な人員を算出し、徴兵検査で登録した自分の本籍地にある徴募区から必要人員を集める仕組みである。 しかし、想像のようにコンピューターのない時代なので、これら動員はかなり強引なものも多く、予備役の間に何回も赤紙が届くなんてことは珍しいことではなかった。 冒頭の終戦時期に兵士が膨らんだのは、戦時下の予備役の期間が10年以上と長かったことや、年齢制限も下げていったこともあり、その無作為な兵士の量産こそが、いかにあの戦争で人が使い捨てられていったのかを理解する目安となる。 国民の軍隊への倦厭は、おそらくこの時の切羽詰った闇雲な徴兵にあり、その描写は多分多少誇張され、映画や小説などで散々喧伝され、その影響もあって、今も日本での徴兵制度は無い。 しかし、今の自分が40歳を超えたからいうわけではないが、確かにこの時の徴兵には間違いはあったようだが、軍隊というものの存在を否定し、軍隊自体を悪のように捉えるのは、どこか間違えている。 軍隊は必要だし、誰かが国を守る必要があるわけで、そのことを理解せずに軍隊自体を拒絶し、同時に誰からも侵略されないという都合の良い考えが今の日本にはびこるようであれば、多少の無駄はあれ、徴兵制度を復活させて良いような気はする。 出典・資料 保阪正康「あの戦争は何だったのか」新潮社
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