ビギナーズラックは数学的に正しいか?

「ビギナーズラック」は実はその言葉自体に数学的根拠はなく、この言葉を口にする人たちの誤った経験則から発せられる

(2012年06月21日更新)

  • 賭けるという英語は「betting」で日本でも賭け事に際して「ベットする」と言う言葉を使う。 本に書いてあったのだが、結婚式を表す「wedding」は、古典英語「wedd」から来ており、この言葉は、契約した約束を守るべき義務を表すラテン語「vadimonium」から来ているそうである。 簡単に言うと賭け物を表す。 確かにどことなくだが言葉自体もさながら、ニュアンスも似ている気がする。 「結婚とは、男が自由を賭け、女が幸福を賭けるくじである。」 有名な結婚についての格言である。 確かに世の中に賭け事は反乱している。 例えばテストの問題が解けないときに、鉛筆のサイコロを転がして記号を選んだり。 例えば道に迷った時に、「どちらにしようかな・・・」とか歌いながら道を選んだり。 先がわからないから人は賭けをし、その賭け事に勝ったときに、得も言えない興奮を得ることがある。 我が日本に話を移して、日本最古のお金と言われる富本銭は、用途は厭勝銭だったらしく、簡単に言うと賭け事に使ったお金だそうだ。 富本銭が出されたのは天武天皇の時代だそうだが、天武天皇は賭け事が好きだったらしく、今で言うところの双六を嗜み、大いに金を賭けていたようである。 やはり壬申の乱というクーデターを起こして地位を得ただけあって、ガツガツしてらっしゃるが、そんな古くから賭け事があることが驚きである。 古今東西、世界各国に賭け事はあり、世界共通の楽しみのようである。 広義に取れば、賭けは生きる上で不可欠だと言えるのかもしれない。 そして賭けに勝つためにはどうすればよいのかは、人生の最大の関心事である人もいるだろう。 僕も今でこそ遊ぶ回数も金額も少なくなったが、競馬の重賞レースは大好きだし、今でも少額ながらお金も賭ける。 そしてその戦績は、たまに勝ち、よく負ける。 負けてJRAと農水省にお金が入るのはわかっているのだが、競馬はやはり予想がぴしゃりと当たった時の興奮が忘れられず、なかなか辞めるきっかけを得ることができない。 勝ち負けはやはり時の運なので、ツイていない人は、どんな素晴らしい予想でも、勝つことはできない。 逆に運を読み込むことができれば、どんなアホな予想でも勝つ時は勝つ。 持論だが運というものは器に入った水のようなもので、乾きを満たして少しづつ減っていくもので、飲むたびにツキが巡り、使った量によってツキの度合いも違う。 すべての人はそのツキの使いどころがわからないので、なかなか成功しないのだが、人生の成功者は、適切な時に適切な量の水を飲むことで、成功を得る。 初心者は使うツキの量がわからないので、適量以上の水を飲む。 結果「冴えている」ために、勝負に勝ったりする。 実はこの初心者の冴えこそが「ビギナーズラック」の正体ではないかと思う。 初心者は得てして勝つための水の分量が分からないものである。 と、まあこんなことを書くのだが、そもそもツキなんてものはこの世にはないし、あるのは数学的な確率だけである。 サイコロをふった時に「4」が出る確率と「5」が出る確率は、多分同じだし、ツイている状態も、ツイていない状態も出玉の変化は確率に基づく。 当然「ビギナーズラック」も存在はしない。 ビギナーズラックは唯の思い込みで、ツキは思いすごしである。 ビギナーズラックのメカニズムは、シンプルである。 例えばあるギャンブルを長くやっている人に、何故そのギャンブルをやっているのかを聞いた時に、「一度ボロ勝ちしたから」と答える人がたぶん多いと思う。 実際に自分がそうだからでもあるのだが、このボロ勝ちこそ、ビギナーズラックの発生源になるのである。 例えば初めて勝った宝くじで10万円の当たりを出したら、その人はこの先も宝くじを買うだろう。 初めて勝った馬券が万馬券だったら、その人は自分のツキの高さに感激するだろう。 そしてそのような人は、宝くじや競馬の話をするとこう答える。 「最初にすごく儲かって。そこからはまったんだよ。」 つまりこの「最初」が曲者で、それは2回目でも3回目でも「最初」で表現されるので、印象としては、初めてやる賭け事は勝つということになる。 考えても見て欲しいのだが、最初から負け続けのギャンブルに誰がはまるだろうか? 勝つからこそハマるのであって、よほどのドMでない限り、JRAにお金を寄付したがる人など存在しない。 つまり、勝つから人はそのゲームに心酔し、辞める前に勝っているわけなので、やり始めて直ぐか、比較的早い段階で某かの勝利があったことは想像に難くない。 一方で「物事はよく知ってからよりも知る前の方が確信を付くことがある」と言うようなこともある。 慣れてくると知識が入り、本来考えなければいけない目線より高くなってしまうことで、必要な考えがそこらに落ちてしまう。 ビジネスの世界ではよくあることで、自分たちが常識だと思っている世界は、世界の全てではない。 そのことが抜けてしまうと、よい結果を持ち得ないし、これからも無いだろう。 「ビギナーズラック」は実はその言葉自体に数学的根拠はなく、この言葉を口にする人たちの誤った経験則から発せられる。 その経験則、つまり始めたばかりで勝つことができた経験は、冷静に考えて自身の未熟さから生まれている気がする。 よくわからずに勝負に勝つと、その勝負は簡単だと思うし、アドレナリンも出そうなので興奮してそれなりに楽しい経験となるだろう。 また、記憶はインパクトのあるものから残していくので、始めてすぐに勝利したという強烈な印象が残ることで、ビギナーズラックと云うイメージを残し、ツキという目に見えない物を過大に生み出してしまう。 ビギナーズラックを参考程度に考えるのであれば、ギャンブルにとってそれなりに価値はあろう。 しかし、過大に評価することは、本来の競馬の楽しみかたから見ても、あまりよろしくはない。 結論は、ギャンブルは自分の力で、楽しむレベルのお金を決めて遊ぶのが良いだろう。 何事もやりすぎはいかんということである。
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