預言者

監督 ジャック・オーディアール
出演 タハール・ラヒム
制作 2009年フランス

成長とは、いかに捨てるか、ということを考えることかもしれない

(2012年07月20日更新)

  • 大学に行くかこのまま何者かになろうかと考えて、とりあえず居酒屋で働くかと、何もないヴェイカントな生活を送っていた頃、中学校の時にやっていた部活の先輩に会って、そのまま何回か飲みに誘ってもらった。 先輩とは学年差が2年あり、僕が部活に入部した時は3年生で、理由は分からないが部活にもあまりこない人だったので、当時は名前くらいしか知らない先輩だった。 僕の中学はまあまあのヤンキー校だったこともあって、この先輩もひと癖ふた癖ある噂があって、正直ビビりながらお供をしていた。 連れられる飲み屋は所謂大衆居酒屋とか、スナックのような所ばかりで、先輩はいつも酔うとカラオケでBOOWYの歌を歌うことが多く、曲がかかると虚ろな目で、ボーカルの氷室バリのハスキーボイスで歌っていた。 ある晩、酔っ払った先輩は歌の途中にトイレに立ってしまい、その後を歌わされる羽目になった。 歌は「ONLY YOU」だったと思うのだが、僕は正直BOOWYは中途半端にしか好きではなかったため、あまり歌詞を知らず、いやいや後を継いで歌っていると、店の端にいた多分店員だと思われる女性が、可愛い声ねえと、何だか艷やかな感じで話しかけてきた。 もう顔も忘れてしまって、何歳くらいの女性だったのかも覚えてはいないが、当時の僕からすればかなり年上の女性で、しかし、そんな女性に話しかけられることもバイト先以外ではあまりなかったので、とりあえず適当な相槌をしてから、歌声を聞かれているという事に対して若干の緊張をしながら歌っていた。 その後先輩はどうしたのかは覚えていないのだが、その日僕はビール瓶を床に落として割ってしまうほど酔っぱらい、その破片を片付けようとして親指の付け根を切ってしまった。 女性は僕に絆創膏と包帯を巻いてくれて、「酔ってるから血がぎょうさん出るんで、ちゃんと抑えとき」というようなことを言ってくれた。 その日は歩いて家に帰って、昼過ぎに目を覚ますと、包帯に少しだけ口紅が付いていた。 僕はその包帯を見て何だか恥ずかしい気持ちになって、直ぐにゴミ箱に捨ててしまった。 若い頃、経験もなく、考えもなく、ただ流されるように生きている頃、僕は数え切れないほどの恥ずかしい経験をした。 僕はこの夜の出来事を思い出す時、何となく恥ずかしい気持ちになる。 たった2年上の先輩に抱いていた畏れや、歌を褒められて幾分か気分が上がったことで起こした、飲みなれない酒での失態。 何の感情もない、自分より年上の女性に対して抱いたちっぽけな欲情。 そしてそう思ってしまったことへの気恥しさ。 若さ故の揺れ動く感情のようなものがリアルに思い出され、書いている今も何となくだがその青臭さに照れてしまう。 今の自分ならどうだろうかと思うのだが、そう思うこと自体ナンセンスなことも知っている。 当然だが今同じことがあっても、何も起こらないのである。 ただ、飲み屋で酒を飲んで終わり、という話なのである。 若さの特権は、何でもないことに対して、何でもないことで終わらないことではないかと思う。 今の僕は、心の中に堆く積み上げられた、沢山の恥ずかしい経験の上に成り立ち、いつかそんな時代があったことを思い出し、懐かしむことで自分があの頃とは違うことを思い知る。 映画「預言者」で主人公は、監獄の中で自分を育てたシチリアマフィアのボスを仲間に殴らせ、彼との決別をする。 やがて出所して、新しくできた自分の仲間と共に、自由への道を歩き出す姿を観ながら、漠然と自分のこれまでの成長を思った。 僕たちは成長することで、過去の恥ずかしい自分を殴り飛ばし、そして新しい自分を笑顔で迎え入れ、同時にこれからの自分がどうなるのかに思いを巡らせ、凛々しい顔つきになる。 僕は過去の気恥しさを殴り飛ばすほど、大きな存在にはなっておらず、今でもあの頃のようにウロウロと迷い、くだらない思いを抱き、惑う。 しかし当時の写真と今の自分を見比べて、ああ、少しは男の顔になったのかもしれないなあ、と思った時、幾分か前に進めている自分が確認できる。 主人公の男は、何も持たないヴェイカントな青年期である物語前半と、力を持ち、仲間たちの中でも大きな存在になっていった物語終盤と比べて見ても、その顔付きや、ツヤや、言葉遣いみたいなものが全く異なる。 この映画のように、成長することで自分を作っているあらゆるものが変わることはあるだろう。 毎日を生きていく中でそれは本当に少しずつの変化なので、なかなか変わったなあと実感することも少ないのだけれども、しかし着実に人は、日々成長をしている。 マフィアものはデ・ニーロやアル・パチーノの頃から、主人公の成長を扱うものが多い。 しかしその成長は、暴力と権力の中で生きるための変化を題材にしていることが多い。 それが一つのマフィア映画の掟みたいになって、少し捻じ曲がった自我の成長やアイデンティティの構築が描かれる。 映画「預言者」の特異性は、これまでのマフィア映画の掟に縛られているわけでも、暴力や権力があふれる物語ではない。 主人公が自らがなにものなのかという、自我の目覚めを扱った成長譚である。 そこには若さによる間違った行動や気恥しさや、真面目さが含まれる。 そしてそれら若さゆえの行動を、まるで主人公が逮捕時に持っていたガラクタを出所時に捨てたように、記憶の中に沈め、捨て去ることで次に進んでいく。 そういった意味で、成長とは、いかに捨てるか、ということを考えることかもしれない。
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