スポットライト 世紀のスクープ

監督 トーマス・マッカーシー
出演 マーク・ラファロ  マイケル・キートン
制作 2015年 アメリカ

カトリック信者12億人に向けた衝撃

(2016年11月08日更新)

  • 昨今どういうわけか聖職者に対するバッシングとも受け取られるような内容の映画や記事を見かけることがある。 その大きな要因となっているのが2013年にローマ教皇の地位を生前退位したベネディクト16世の存在が大きい。 ベネディクト16世については、いろいろな悪い噂もあるのだが、実際にも教皇自身が公の場でイスラム教に対する邪教発言や、私的文書の漏洩など、問題を起こしたりもしている。 確証のないことをネットで拡散しても仕方がないので、はっきりとしない噂の部分は書かないが、こう言ったイメージが教皇やバチカンに付き始めたこともあり、また宗教に対する密室性への批判や興味もあって、好き放題に情報が拡散してしまったのだろう。 ネット社会というものは怖いものである。 昔は聖職者への批判はアンタッチャブルだった。 何故アンタッチャブルだったかというと、ここに切り込んでしまうと、世界中にいる信者を敵に回すことになりかねないし、そもそも宗教の問題はとてもナイーブで、少し批判するだけで「思想・信仰の自由」や「神を冒涜する」などという常套句が飛び出し、批判した側に勝ち目がないからである。 勝ち目のない喧嘩は大人がすることではないので、ちょっとおかしいぞ?と思っても記事にしたり、世に出そうというものが現れなかった。 もっと言うと聖職者というものは、普通の職業の人より倫理観や社会通念が良い意味で普通の人より異なっているため、世俗的な欲に負けて、信者にダメージを与えないはず、というイメージがあった。 もちろんその分聖職者と呼ばれ、自らを人よりも律しなければならないので、大部分の方々は、ゴシップとは全く関係のないところにいらっしゃったのだと思うのだが、どこの世界にもあぶれ物はいるのか、聖職者を隠れ蓑にしてよくないことをする輩はいたようだ。 神の世界にも堕天使がいるように、社会の中に堕落する人間は必ず存在するものである。 ではなぜ聖職者に対しての批判めいたものが増えたのかを推測すると、単純に昔ほど信者が減っていることに起因しているのではないかと思う。 例えば公共宗教研究所というNPOが変わった調査をしていて、キリスト教徒が多く、昔は教会にも礼拝に行く人が多かったアメリカ人のおよそ22パーセントが、無宗派であるという調査結果が出ている。 この数字は調査年ごとに上がっているそうで、キリスト離れが表面化してきている。 とは言えまだまだ国民の多くがキリスト教徒の国ではあるので、一概に宗教離れが進んでいるとも言い切れないのだが、こういった背景が宗教の権威を下げていくことにつながっていると考えられる。 教会も宗教という社会的権威のバイアスがあるからよい集団に見えるのかもしれないが、そこを取り除けば2000年も続く組織が醜聞や腐敗が無いということが異常だと思える。 何故なら人の世が創った世界というものは間違いがつきものだからである。 ということで、今回の映画紹介は教会の犯罪を世に出した記者の物語「スポットライト 世紀のスクープ」である。 物語は2002年1月にボストン・グローブ紙に掲載されたスキャンダル記事に基づく。 スクープの内容は地元ボストンのカトリック教会神父による児童への性的虐待だった。 報道は世界にいるカトリック信者12億人に向けた衝撃であり、社会的影響の大きさを恐れない調査報道にある。 その経緯は映画の本編で確認いただければと思うのだが、ジャーナリストがその記事の大きさに対し、報道したことの責任よりも報道しなかったときの責任を重んじて、世に出した経緯が恰好が良い。 聖職者でも、強大な権力であっても、正義感を持って立ち向かうことができるのは、長らくリーマン生活で、間違った行為行動に目をつぶる日々を送る僕には、とても輝いて見えた。 何事も信念をもって行動することは素晴らしいことである。
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