南極物語

監督 蔵原惟繕
出演 高倉健 渡瀬恒彦
制作 1983年 日本

映画館で映画を観るはなし

(2014年11月28日更新)

  • 昔、娯楽がまだ少なかった時代、映画は娯楽の王様だった。 僕はその時代よりずっと後の1973年生まれなので、映画は数ある娯楽の一つで、唯一というわけではなかったが、今よりは映画を観るということは特別なことだった。 インターネットの時代に生まれた若い人たちにとっては、映画は「借りて見るもの」かもしれない。 または「ネットで見るもの」かもしれない。 僕が生まれた時代は、ネットはもちろんビデオも無かったので映画は「映画館で観る」ものだった。 僕は大阪市淀川区生まれで、映画を観る時は、地下鉄の新大阪駅から梅田にある大きな映画館に行った。 今のような大型ショッピングモールがない時代で、大抵は繁華街のビルのテナントの一つとして映画館はあって、表にはペンキ絵で書かれた上映している映画の看板があったりした。 よく行った映画館は今ではもうない、大阪キタにあった船の形をしたビルの上階にあった映画館で、エレベーターに乗ると上映中の映画のポスターが貼ってあったりして、それを見ているだけでわくわくしたものだ。 映画館の中はなんだかしっとりしていて、静かで病院の待合室のような雰囲気だった。 入口で飲み物を買ってもらうのが嬉しくて、映画が始まるまでは買ってもらったコーラーとかを飲みながら、パンフレットを見て過ごしたりしていた。 そして映画館の入場が始まると、すぐに席を取りに人ごみをかき分けて中に入る。 昔は、今のように全席指定ではなく、ヒット映画になると立ち見なんかもあって、そもそも席自体指定席を買う人も少ないので、早いもの勝ちで席を確保しなければならない。 僕は小柄な子どもだったので、小さい体で人ごみをすり抜けて、席を取るのがうまかった。 ヒット作で本当にそこらで立ち見の人がいる映画を座って観ているときは、少し優越感があったのを覚えている。 そして映画が始まる。 映画のはじめは今のように上映の注意みたいなものではなく、これからこの映画館で公開されるであろう映画の紹介が多かった。 只今撮影中みたいなやつである。 商業ビルの中にある場合は、そのビルの宣伝なんかもあったように記憶している。 いよいよ本編が開始する頃になると、映画のスクリーンが少し大きくなり、場内は暗転する。 それは今も変わらない。 映画を映画館で観に行くその高揚感は今もかすかに覚えている。 これだけ娯楽が溢れた現代において、映画館に観に行くということは意味を持たないという意見もあるが、僕はそうは思わない。 映画館には音響や映像の大きさという物理的な問題だけでなく、映画に対する期待から来るドキドキ感やワクワク感みたいなものがあって、映画館で観る映画は、家で観るものとは確実に違う世界が広がっていた。 映画館で過ごす2時間で物語の中に没頭し、そこに自分を写し、時には自分を参加させる。 その時間は、普段の生活の中にはあるものであり、無いものでもあった。 映画の世界は日常を描く非日常だったと言える。 そんな映画への思いのはじまりは「南極物語」だった。 南極越冬隊の話だが、この物語には日本人の魂がある。 当時戦争に負けた日本が、南極に基地を作り、調査を行うことに意味があったのか。 それよりも経済優先で、まず日本を豊かにすることが先決ではないのか。 そう考えるのが普通だが、誇りの名のもとに日本人は南極越冬隊を編成する。 誇りとは何か? まだまだ貧しかった日本が、技術を磨き南極で調査船を出すことができる。 それを世界に見せつける事、それこそが誇りだったのかもしれない。 南極物語を久しぶりに見た。 実に30年ぶりだったが、映画を見終わって、この物語はタローとジローだけが主役の物語では無いと気づいた。 この映画は、今の世が無くしかけている、日本人の誇りが描かれた映画である。 過酷な世界に飛び出して、日本人の力を世界に見せつけようとした、そんな気骨ある時代の映画である。 映画を観ながら、幼かった僕を思いだし、映画への思いを新たにした。 同時に昔の時代を思いだし、今の自分と比べてまだまだやることはあるなあと感じた。 たまには古い映画に触れてみるのも良いものである。
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