のぼうの城

監督 犬童一心
出演 野村萬斎  榮倉奈々
制作 2011年日本

そのような人を求めることも、これまた理想なのかもしれない

(2013年07月03日更新)

  • 理想の上司ランキングというものをテレビの情報番組とかでたまに耳にすることがある。 大体上位に来るのは、その年に第一線で活躍している人が多く、同時に強いリーダシップを持っている人が多いように思う。 例えば毎年名前を連ねる人で、マルチな才能を持つ北野武さんや、野球選手のイチローさんなど、カリスマ性を持ってランク入りする人もいれば、サッカー日本代表チームのキャプテンである、長谷部さんや澤さんなど、所謂旬のリーダーが選ばれることが多い。 名前を聞いて、すんなりと納得できる方もあれば、星野仙一さんのように、中日の監督で名将とは言え、正直怖くて、向こうも嫌だろうが僕も上司としては遠慮したい方もいらっしゃる。 個人的な意見はさておき、選ばれる人はやっぱりそれなりの名声を得ている人なので、上司ランキングも、人間としての格くらいに捉えると、頷けないことはない。 一方で、毎回何となく名前が上がっているのだが、何故この人が選ばれるのだろうと思う人が所ジョージさんである。 所さんはもう何十年と一線で活躍している、リーダーとしては申し分のない人ではあるが、理想の上司と言われると、何となくちゃらんぽらんな感じがして、大丈夫かなあと思ってしまうのは僕だけだろうか。 実際の所さんはきっとそうではないのだろうが、子どもの頃から見てきた所さんは、少なくとも「すんごぅいですねー」な感じだった。 申し訳ないが、上司として色んな問題に対処できるような印象は受けない。 これは推測だが、多分所さんが画面上で見せる、寛容さや、いろんなものにこだわるからこそ持つ造詣の深さとか、強いカリスマで牽引する力よりか、肩の力を抜いて仕事が出来そうな所に魅力を感じているのかもしれない。 良い上司とは、口出しをあまりしない人であるのは納得できる大方の意見ではなかろうか。 当然何もわからないで口を出さないのは論外で、その上司自身も、自由にやってきたからこそ、失敗も成功もあり、その経験の深さゆえに、ここぞという時には頼りになる。 それ故に頼れる存在だし、苦しみや悩みもわかってもらえる。 しかし実際の会社の中にはこう言った類の人はあまりいないように思う。 上司は大抵威張っているか、または自分のやり方を押し付ける人が多く、仮に威張ってなければ、能力のない人が多い。 能力というのも定義が難しいのだが、おそらくは、あらゆる物事の案件に対し、前に進めることができる人が多分能力のある人で、その見せ方は人それぞれだとは思うので、威張っているから悪いとは一概に思わないのは先に言っておきたいのだが、威張るという事は自分のカテゴリーの中に相手をはめ込もうとする行為だと思うので、そこに窮屈さを感じる人はたぶんその上司にはついては行かないだろう。 逆に、威張りはしないが、ただ寛容なだけの人は、自分の能力の低さに矛先がいかないようにしているだけなので、あまり尊敬はできなさそうだ。 どちらにしても良い上司とは思えない。 等身大の良い上司を考える時に、上司自体に高い能力はなくていいように思う。 能力が無くても、前に進ませる力があれば、有能な部下がカヴァーをするだろうし、同時に有能な部下も育ちやすいのではないか。 そもそも有能な人は、自分の意志で動ける人なので、上司が一本筋の通る人であれば、メキメキ力を発揮するだろう。 そう言った意味では、所ジョージさんは面白いことはさほど言わないし、何か名司会者的な要素があるわけでもないのだが、所さんだからこそ、その内容が引き立つ、または内容がよく入ってくる、ということは往々にある気がする。 それは所さん自体が、遊び人として一流である、という認知から来るもので、所さんの言動にそのバックボーンが見え隠れするので、信頼が高くなるのかもしれない。 そういう意味では、エンターテイメントの世界では、有能な人なんだろうなあとは思う。 いずれにしても理想の上司を語る上では、上司を求める部下も、それなりの基準にないといかんとは思うし、自分がそれなりの努力もしていないのに、上司に最上を求めるのは、お門違いではある。 ではどんな上司と部下が良いのだろうか。 映画「のぼうの城」を見ると、この答えがあるように思う。 映画の中の主従の関係こそ、「これって理想の関係じゃないかしらん」と僕は思った。 「のぼうの城」の主人公は、実力者でありながら城下の人々に「でくのぼう」から発する、「のぼう」と呼ばれている。 それは、のぼうが臆病で、おっちょこちょいで、どんくさいため、そう呼ばれているのだが、そう言う人々に嘲りの感情はない。 あだ名はのぼうへの信頼から付けられており、家臣も、のぼうに対して、尊敬の気持ちがあるようには見えないが、心底ではのぼうを慕っている。 そんな無能で、少し舐められている感のある「のぼう」の城が、大軍勢に攻められることになると、「のぼう」は、近隣諸国が降伏する中も、戦の経験もないのに、敵に戦いを宣言する。 君主豹変すとはこのことだが、この宣言に国中が同意して、一気に戦に向かって走り出す。 そこには、のぼうを信じる気持ちがあり、のぼうも国の向かう方向を敏感に感じ取って牽引していったからで、無論その無謀な戦いにも、一本の道義がある。 「武あるものが武なきものを足蹴にし、才あるものが才なきもの鼻面をいいように引き回す。 これが人の世か。ならばわしはいやじゃ」 のぼうが発するこの言葉には真実があって、真実はない。 世の中ではこういう言葉を理想といい、現実社会にこういった理想と現実が存在することは誰しもが知っている。 しかし「のぼう」の掲げる理想は、人の心を十分に動かし、結果何倍もある兵力に立ち向かい勝利することになる。 しかし、この戦いの結果も理想のようで、理想ではない。 過去にも大きな兵力の前に戦いを挑み、その正義のもとに勝利をした例は数多くある。 そこには必ず通常以上の人の力が発揮されている。 人の力を最大限に引き上げること出来る人が、大きな事を成し遂げ、そこには人の心を動かす、魔法の言葉みたいなものが不可欠である。 そしてこの言葉を持ち、人々を前に進ませる力を持つものが、有能な上司である。 この映画を観ると、理想の上司像が見えてくる気がするのである。 理想の上司に求められるのは、力を引き出せる理想を掲げてくれる人であり、またその理想に向かって勝利を得ることができるような気にさせてくれる人である。 そのような人を求めることも、これまた理想なのかもしれない。
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