ナイトメアビフォアクリスマス
監督 ヘンリー・セリック 原案:ティム・バートン
制作 1993年アメリカ
その撮影方法が物語の世界観とマッチして、大変楽しい映画に仕上がっている
(2012年01月01日更新)
- こどもの頃にテレビで人形劇をやっていた。 特に覚えているのは、プリンプリン物語という人形劇で、調べてみると79年から82年までNHKでやっていたそうだ。 この話を簡単に言うと、どこかの国の王女プリンプリンが、さる事情で赤ん坊の時に船に流され漁師の子に育てられるのだが、仲間と共に本当の祖国を探すという物語である。 70年から80年頃のこども向け番組の多くは、身も蓋もない言い方をするとチャチいのだが、その世界観は大人顔負けの壮大さがあった。 よく言われることだが、昔のこども向け番組は、こどもにはわからない(またはわかりずらい)物をテーマに作られていることが多かった。 最近ビデオ屋で何気なく借りたウルトラセブンを観て衝撃を受けたのだが、第8話の「狙われた街」と言う話で、メトロン星人という宇宙人が地球を侵略に来るのだが、その侵略方法が凄い。 街中の全ての自販機のタバコに異物をいれ、そのタバコを吸った人間の気性が変わり、すべての人が敵に見えるようになる。 そして人との絆を断ち、争わせることで自ら人間を滅ぼそうというのである。 メトロン星人は言う。 「地球を壊滅させるのに暴力をふるう必要はない。 人間同士の信頼感をなくせばよい。」 それに対し、エンディングのナレーションではこう付け加える。 「人間同士の信頼感を利用するとは恐るべき宇宙人です。でもご安心下さい、このお話は遠い遠い未来の物語なのです。 え、何故ですって? 我々人類は今、宇宙人に狙われるほど、お互いを信頼してはいませんから」 何ともシュールな話である。突っ込みどころ満載である。 しかし、このテーマが明らかなのは人類の絆を大切にしようとか、人に対して暴力をふるってはいけませんとかではない。 ただの社会に対する揶揄とも取れるし、人間が一つになんてなりっこないというニヒリズムとも取れる。 こどもに本来見せるべき愛だの友情だの、どこかの少年誌のようなテーマをがっぷり四つに構えるお話とは違い、悪い部分を見せて、こどもが理解できようができまいが関係の無い、というスタンスがなかなかに男らしい。 僕はそもそもテレビの影響がそこまで高いとは思っていない。 テレビがどうこうしようが、今の社会は情報に溢れているので、テレビ如きが社会的によろしくない情報をブロックしようとしても、全体を抑えることはそうたやすくはない。 例えばエロを排除しようとしても、コンビニに行けばアホほどエロは溢れているし、もちろんネットでもお腹いっぱいになるくらいに存在している。 テレビは公共の電波なので、こどもにはそれなりの配慮は必要だとは思うのだが、映像の一つ一つを取り上げるのではなく、そういう全てのものに蓋をする状況の方が問題を感じる。 例えば映画の中の裸のシーンのモザイク加工もそうだし、暴力の減ったお笑い番組もそうである。 モザイクをしたから中学生が一人エッチしないわけではないし、出川哲郎がクレーンで吊り上げられなくても、いじめは減らない。 何もテレビでアダルトビデオを流せとか言っているわけではない。 昔のこども向けの映像のように、自由な作りがあってもいいのではないか、と言うことを言いたいわけである。 少し熱くなってしまったが、今回は「ナイトメアビフォアクリスマス」というストップモーションアニメーションである。 ストップモーションアニメーションは、要は人形みたいなものをひとコマずつ映像にしてつなげる気の遠くなるような撮影法なのだが、逆にその撮影方法が物語の世界観とマッチして、大変楽しい映画に仕上がっている。 このアニメの登場人物はハロウィンタウンの不気味な幽霊やゾンビなんかである。 ハロウィンとクリスマスを描いた映画にも関わらず、日本のテレビで同時期にこの映画をやっているのを観たことがない。(昔は知らないが) 物語のやや難解さ(ハロウィンをこどもがわからないとか?)やグロテスクさとか、または映像の権利とかいろんな問題はあるのかもしれないが、僕はこども向けの映像に、こういう独創性のあるストーリーが減ってきている気がしている。 小さくまとまったアニメばかりを放送せず、もっと想像力を掻き立てられるような話や、大人との境界がない物語を放送すべきではないだろうか。 いっそカンタベリー物語くらいをアニメ化して、付いてくる奴は付いて来い位の度量で放送するくらいの気持ちがほしい。
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