君の名は。

監督 新海誠
出演 神木隆之介 上白石萌音
制作 2016年 日本

デジャブ

(2017年08月09日更新)

  • 経験のないことなのにどこかで同じ経験をしたような気がする。 始めてくる場所なのに何故か記憶に残っている。 こういう経験をデジャブと言うそうで、日本語では既視感とも言う。 例えば初めて訪れた家なのに住人の名前を知っていたり、行ったことのない町の名前や有名店など、細かい情報を知っていたりという事例が報告されているらしい。 有名な話を上げると、アメリカに住む女性が重篤な病にかかり心臓と肺の移植手術を受けた。 術後は経過も良かったそうだが、どうも彼女の様子がおかしい。 これまで、ファーストフードが嫌いだったのにもかかわらず、チキンナゲットを好んで食べるようになったり、振る舞いが何となく男性っぽくなったりと、周りの目から見た彼女の変化は明白だった。 指摘すると、彼女は記憶の中で若い男性にあったと主張し、その情報があまりにもリアルなので調べてみると、確かに彼女に心臓や肺を提供したのは、若い男性だったことが分かる。 しかも彼女は病院が守秘義務として誰にも伝えない臓器提供者のファーストネームを知っていたという。 どうやら彼女は移植を受けたことにより、趣味嗜好や記憶まで臓器提供者の物を移植されたという事のようで、彼女のデジャブは臓器の移植により具体的な形で現れたといえる。 この話からも分かるが心は心臓に宿るらしい。 正に心臓が「ハート」であることの証明なのだろうが、実際にこんなことが起きるのであれば、脳はなんのためにあるんだという事になってしまいそうなので、科学的な解明が待ち遠しいのだが、現時点では心臓が記憶を持つ理由はいまいちわかっていないようだ。 因みに年を取ってくるとたまに同じ経験をすることがある。 例えば奥さんや子どもと話していて、「あれ?この話どこかでしたことなかったっけ?」と感じることがあり、少し怪訝そうに話をしていると、子どもから「お父さんその話前にも聞いたよ」何てことを言われる。 一瞬「デジャブ?」と思うのだが、なんてことはない一度した話を憶えていないというただの老化現象である。 老いとは怖いものである。 実際の既視感も現在では記憶障害による混乱とされることが多い。 この症状は特に知能レベルが高い人が多く、記憶領域の情報取り出し時に、何らかのバグで出来上がった誤った情報と、今見た記憶が結びつくことで起きるそうで、一言でいうと勘違いである。 脳というものは元来一度見たものを情報として置き、似たものが出ると記憶を補って見せるという特徴がある。 例えば3つの点があると人の顔として認識してしまうシミュラクラ効果は、完全な脳のバグである。 先ほどの心臓移植の話しで、脳のバグがデジャブを引き起こしているのであれば、見たことも無い町の店の情報や、臓器提供者の名前などを知り得ると言った、バグだけではかたずけられない事象もあるようなので言い切れない部分もあるのだが、結局は人間の能力の中に、見たことも無い景色や人の名前を想像で描くことができるのだとすれば、脳のバグと言ってもその能力の高さには驚かされる。 そう考えると、幽霊やUFOの存在も脳のバグを楽しむ行為だとすると、主張する人々の遊び心を感じてほほえましくはないだろうか? また映画エッセイの趣旨から外れてしまうので、少し映画の話をすると、デジャブについては、題材のポップさから映画の中でもよく使われていることを紹介しよう。 最近でもデンゼルワシントン主演で映画の映画があったのだが、デジャブはオカルトとして話すと少し眉に唾を付けてしまうのだが、これがSFと結びつくとなかなか見ごたえがあって楽しい。 何故SFと結びつきやすいかというと、SFには伝家の宝刀タイムリープがある。 タイムトラベラーによって消された記憶を何かの拍子に思い出すなんて展開は、若者がキャンプとかではしゃいでいていい感じになったカップルから殺されるという展開くらいよくある。 という事で前振りばっちりなので、今回の映画紹介は劇場に観に行けなかった「君の名は。」である。 前評判では大林信彦の世界観が盛りだくさんとのことで、懐かしいなあと思いながらいざ見始めたのだが、前評判通りの大林信彦感が盛りだくさんの映画だった。 ただの大衆迎合批評だと思われてもよいのだが、青春と恋愛とSFがきちんと並べられた、なんとも見やすい映画だった。 皆が映画評で書くことをそのまま書くと、前半は大林信彦の名作「転校生」で、後半は「時をかける少女」である。 実写だったら違和感の残る内容でもアニメとして美しい絵とアングルとで見せられると、何事も無く許せてしまう。 映画の矛盾や違和感の残る部分も、ヒット作を作りたいという野心と、丁寧な絵、またきっちり練られた展開になんだか監督の執念めいたものさえ感じてしまう。 物語に登場する組紐は「運命の赤い糸」を思わせ、巫女をする主人公は処女に宿る神の使いとしての神秘性を感じさせる。 日本にあった過去の価値観をちりばめつつ、主人公は最後に近代都市の東京で出会う。 ここには現代の感覚があり、同時にノスタルジーを思わせる。 ここ最近の外国で評される日本のクールジャパンは、過去の日本の美しい精神や原風景の焼き写しでもある。 千と千尋も「おくりびと」もこの映画も、物語の底に描かれるのは日本固有の美意識である。 美意識をもっとも上手く伝えるのは、ひょっとしたらアニメのほうが向いているのかもしれない。 SFとは未来のことを語るものではなく、現代や過去の良さを語るものでもあるのだと映画を観ながら感じました。 良い映画でした。
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