ギャラクシー街道

監督 脚本:三谷幸喜
出演 香取慎吾 綾瀬はるか
制作 2015年 日本

このハンバーガー屋さんは、毎日変わる街道に向けて、店を動かしているのではないか?

(2016年10月24日更新)

  • 一時期、宇宙科学の分野での日本のノーベル賞受賞が巷を賑わせた。 宇宙物理学は本当に夢のある学問だとは思うのだが、その発展に伴う恩恵は生活の中ではなかなか実感できない。 将来的に宇宙人が往来する世の中になれば、それこそ形も変わってくるのかもしれないのだろうが、そんな時代は本当に来るのだろうか。 かの有名な理論物理学者のホーキング博士は宇宙人はいると断言している。 しかし、読んでみるとこれは物理学や天文学的な推察ではなく、ただの統計による推察である。 簡単に言ってしまうと、「宇宙にはすんげー数の星があんだから、宇宙人くらいいるっしょ」的な話のようである。原文読んでないけど。 まあこの意見にはたぶん大部分の人は賛成なのだろう。 しかし、実際に宇宙人が地球にやってくるのか?と問われれば、今の人類の科学力からすると、首をかしげる人もいるようだ。 確かに何万光年先の宇宙にいる人が、その寿命を終える前に地球にやってくる宇宙船が本当に作れるのだろうか、などと考えると難しそうだなあと思うのは当然である。 いくらガンダム世代やヤマト世代の人たちでも、それがどれだけの技術力なのかを想像するのは難しいことではない。 ましてや、得体の知れないおっさんが「UFOを呼びましょう」とか言って、空に向かって呪文を唱える姿をテレビなどで見せられた日には、科学へのロマンも冷めてしまうというものである。 しかし、こう書いている僕自身は宇宙人もUFOもまあまあ信じている。 理由はほぼ科学者と同じだが、地球が類稀な奇跡の星ではないと思うからである。 世の中大抵の奇跡は、科学の進歩で奇跡ではなくなってきている。 まだ残された奇跡はあるのだと思うが、たぶんその大部分は科学で解き明かされる日が来ると思っている。 つまり、地球が奇跡ではないことは、科学が進歩すれば逆説的に証明されてくると思うわけである。 ちょっと話が難しくなったので、ライトな話を書くと、昔何かで読んだのだが、宇宙戦艦ヤマトは、科学的矛盾の宝庫だそうで、例えば序盤で14万8000光年離れたイスカンダル星から電子メッセージが届けられるのだが、光の速さ以上ないこの世界で、14万年前に地球がピンチとなぜ予測できたのだろうか? しかも滅びる1年前にメッセージを送るとはもはや神の領域である。 まあアニメにはアニメの楽しみ方があるので、それはそれでよしとするのだが、ねつ造に近いと思っていたSF物語が、やがて科学によって現実になっていくのかもしれないので、物語くらいは多少荒唐無稽でも良い様には思うわけである。 ということで今回の話は三谷幸喜さんの「ギャラクシー街道」である。 その名の通り宇宙にある街道の、ハンバーガーショップにやってくる人々(?)の、群像劇である。 監督がそもそも舞台脚本家と言うことからか、多くの場面を用いないコンパクトな運びは楽しく、見やすい映画だと思ったのだが、気になったのが「街道」という言葉である。 そもそも宇宙に街道は必要なのだろうか? 大抵の星は基本自転や公転を行う。 その軌道は不変な様に見えて、まったく同じではない。 街道というものは、目的の場所が変わらないから成立するのであって、目的地が変わってしまうのであれば、その街道は意味をなさない。 そうなると、建物自体が目的地になり、星から(または出発地から)そこまでの道が「街道」となるのであれば、おそらく自転の向きや、天候などによって、街道の位置も左右されるはずである。 そんなことを考えると、このハンバーガー屋さんは、毎日変わる街道に向けて、店を動かしているのではないか?などという、妙な空想をすると、またこの映画は一層楽しい。 いずれにしてもいろんな考えが湧き起こる映画というものは、観てる分にも飽きが来ないものである。 そういったものを引き出す力こそが、映画の一つの魅力なのかもしれない。
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