スージー・クアトロ  鹿苑寺

金閣寺

(2017年11月01日更新)

  • 僕は多感な学生時代にバンドブームというものがあって、猫も杓子もギターやらスティックだのを持って、当時流行っていたバンドのカバーなんかをやって、モテようとしていた。 僕は文化祭の俄かバンド程度で一度バンドを組んだ経験があるのだが、持ち前の根性の無さから、楽器演奏は上手くならなかった。 でも音楽はとても好きで、オジーオズボーンやアイアンメイデンから入ったロックは、なぜか最後はビートルズに終わるという、時代を逆行した趣味ではあったのだが、それはもうロックにかぶれにかぶれ、カブキロック状態だった。(古っ) そんなわけでかは分からないが、鹿苑寺という名前を聞くと反射的にロックを思い出してしまう。 なんてことはないただのダジャレではあるが、鹿苑寺は意外とダジャレで片付けられないロックな部分もあるのである。 鹿苑寺はご存知のように通称の金閣寺として名前が知れ渡っている。 現代人の擦れた感性の僕が言っても影響が無いと思うので書くのだが、大変趣味の悪い建物である。 しかし、今も外人さんの旅行地としても名高く、いつ行っても金髪の女性が「ハラショー」とか言ってバシバシ写真を撮っているイメージだが、この金閣寺が何故金ぴかなのかは決して成金おじさんの気まぐれではない。 金閣寺を建立したのは室町3代将軍の足利義満である。 時は1397年で、義満はすでに将軍職を退き、余生を送ろうとこの別荘を建てたと言われている。 当時はまだ40歳くらいだったようだ。 今だと40歳はまだまだ働き盛りなのだが、時代は室町なので、もうよぼよぼだったのか?と言えばそういう事でもなく、義満は隠居後も建築物を作ったり、北山文化と呼ばれる文化をけん引したりと、なかなかのおじさんだったようだ。 単純にあんまりにも成功しすぎて、将軍に飽きちゃったのかもしれない。 うらやましい話である。 話を金閣寺に戻すと、実は金箔だらけのトリッキーな見た目だけではなく中身もなかなかのもので、3階建ての建物の部屋自体の作り(様式)が異なる作りになっている。 1階は寝殿造りと呼ばれ、一般的には公家や貴族の居住によく見られた造りになっていて、これが2階に上がると武家造りになる。 まあここまでなら別荘らしい造りなのでそんなに違和感もないのだが、3階は中国の禅宗の様式になっているというので、何某かの意味を考えてしまう。 しかも1階は木造のまま、金が貼られていないそうで、上階に上がれば金箔でピッカピカになっているそうだ。 通説では公家が一番下でその上に武家がいて、さらに上には中国があるという事を表しているとのことで、なかなかの喧嘩の売り方である。 まあ将軍様なんだからそれくらいはするんじゃない?と思う方もいるかもしれないが、武士と言えばそもそも貴族の土地を守る、いわば使いっ端で、将軍の地位も天皇からもらうものなので、その武士が公家より上ってなめてんじゃね?となりそうである。 それだけ引退したこのおじさんの権力が凄かったという事なのかもしれないが、しかしそれをセンスのない、仏教建築という厳かな建物で、且つ自分の余生の住まいに成金趣味的な発想を入れてくるところが、なかなかのロックである。 現代で言えば「ぐわし」のホラー漫画家が立てたトリッキーな色の家みたいなものだろうか? あの方もなかなかロックな人である。 鹿苑寺という名前からロックな人義満の話を書いたのだが、この人は政争にも勝ち、明との貿易にも成功しお金も得、文化にも力を入れたという意味では当時はかなりの権力者だったことが伺える。 そんな人でも貴族への反骨精神があったというのはなんだかうれしい気がしてしまう。 建物の趣味はどうあれではあるが。
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