ルンバ  バース

大阪学

(2016年02月09日更新)

  • 今回のしりとりエッセイのタイトルが有名な野球選手の名前なので最初に断っておくと、僕はプロ野球をほとんど見ない。 子どもの頃に野球をやっていたので、野球に疎いわけでもないのだが、プロ野球は野球少年時代もそんなに興味が無かった。 野球がうまくなりたければプロを見るべきなのはわかっていたのだが、僕のヒーローは王でも長嶋でも無く、吉本新喜劇の花木京や池乃めだかだったようだ。 そんな僕でもバースの名前は知っている。 バースといえば長距離砲で、外国人助っ人選手の初の本塁打王になっているが、ここ一番の勝負強さに定評がある。 バースの名前を大きくしたのは、1985年の阪神日本一のクリーンナップメンバーで、巨人の槙原からとった掛布雅之、岡田彰布との三者連続ホームランは、今でも語り草となっている。 確かに、バースがいなければ、阪神の優勝は無かったと思われる。 大阪の人がひとかどの思いをバースに持っているのは、熱狂した阪神の21年ぶりのリーグ優勝の立役者だからだけが理由ではない。 バースほどの大物が、6年も在籍してくれたことや、寡黙な職人のようなたたずまいが、どこか関西人の美的感覚をくすぐったのである。 話は変わるのだが、関西人の気質の中に判官贔屓というものがある。 意味を簡単に言うと、判官を指す源義経がそうであったように、力があるが非情な運命を背負ってしまった人物に対し、贔屓的な感情で応援することなのだが、大阪の人は特徴的にこの気質の人が多いように思う。 判官贔屓のわかりやすい代表的例として、大阪人の阪神愛がある。 阪神は個々の選手はそれなりの持っているが、勝つことができない。 球団の体質なのか、誰かが言った様にベンチがアホなのかは知らないが、とにかく勝利とは無縁だった。 そんな何年も勝つことができなかった阪神タイガースを、大阪人はひたむきに応援してきた。 たまにバックネット裏で「コラ。お前オカマみたいなスイングしやがって。チ○コついてんのか」という、厳しくも暖かい叱咤激励をしながら、ただただ阪神を応援していた。 大阪人の阪神愛は、「あいつは駄目なやつだがどこか憎めない」寅さん的な、大阪人特有の人情が見え隠れする。 駄目だがあいつはいい物を持っていると、馬鹿息子のことを語る親父のような感じがするわけである。 しかし大阪人になぜこのような気質の人間が多くいるのだろうか。 この問いへの応えとして、江戸時代大阪は商人の町で、武士がいなかったことが関係していると昔何かで呼んだ記憶がある。 どういうことかというと、武士とは封建制度の中で、主君に対し忠誠を誓うよう教育をされた存在で、ルールを重んじる。 一方で商人に必要なのは社会性であり、他とは異なるアイデアであり、相手を出し抜く機転である。 信じられるのは己の才覚のみで、権力に従わず、強いものに屈しない精神があってこそ商人成らしめる。 その精神性が、判官贔屓的な気質に繋がっているのではないかと考えるわけである。 例えば大阪の人は信号を守らないと言われる。 かくゆう僕も明らかに車の来ない交差点で赤信号は守らない。 道路交通法を守らないことを威張っている場合ではないが、理由は信号は機械で、人間が機械に従うこと自体がおかしいからである。 人間は判断ができる動物なので、機械のルールに従う必要が無い。 無論自転車や車に乗っているときは、信号はしっかりと守る。 一見合理的な考え方だと思うかもしれないが、この考えを大阪人の感性として言い換えると、信号はそのままルールとか、権力とかに言い換えることができ、権力やルールは必ずしも従うものではないと言う解釈にも取ることができる。 ルールはあくまで人間が定めたもので、無知蒙昧に従うことがおかしい。 それが先述の商人気質の大阪人の考えに当てはまるわけである。 商人の基準は商売であり、商売とは人と違うことをすることで儲かり、そのために人を出し抜くことでもある。 ルールは人の個性を縛い、型にはめることなので、ルールに縛られることを商人は嫌う。 その代わりに自分で決めたルールには従順すぎるくらいに従う。 要は強制されるのが嫌いなのである。 やや話がそれたので話を元に戻すと、バースが今も大阪人の中で人気があるのは、バースも来日後は成績も振るわず、守備の下手さから解雇されかけていた経験がある。 実力を発揮してからでも、多くの敬遠で成績を下げてしまったこともあり、極め付けが、家族の病気に関する契約上のトラブルから、解雇させられたりと、力があるのに権力に左右され、しかし運命は自分で切り開いていった強さに、判官贔屓な大阪人の胸を熱くする。 誰にも屈せず、球団のルールに従わず、自分を曲げなかった精神は、そのまま大阪の風土に合致したのかもしれない。 一方でバースが象徴するものに、大阪人はよい意味でしつこいということも見えてくる。 例えばこの前吉本新喜劇を久しぶりに見たのだが、正直30年前に僕が大阪で見ていたのとそこまでの変わりは無いように見える。 マンネリの面白さといえばそれまでだが、大阪人は好きなものは結構長い間好きでいることが多い。 大阪だけで活躍する芸人みたいなのも、他県に比べると圧倒的に多い気がするし、なにより妙な長寿番組も多いように思う。 大阪人は地方に行っても方言を直さないことや、そもそも先に書いた大阪人の気質みたいな話も、江戸時代に遡る話なので、そんな昔の精神を、今も持ちえているのは大阪人くらいではないだろうか? 無論、自分自身のことも踏まえてみても、大阪人はなんとなくしつこい気がするのだが、同調していただける人も多いのではないだろうか? バース人気が象徴するものは、大阪人の優しさと、類まれなしつこさで、そこが関西という土壌の愛すべきところだと思うわけである。 同時に、大阪人は安定を望む部分があり、判官贔屓で身内にはやさしい。 また、この上なく大阪が好きで、大阪に受け入れられた人が好きである。 バースを見ると大阪人が見えてくる。
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