あの戦争はどうして起きたのか

日本が、あの戦争に向かった理由は、第一に満州国の維持が挙げられる

(2012年03月15日更新)

  • 隣の家の柿の樹の枝が、自分の家の敷地内に入ってきた時に、貴方は隣の家に怒鳴り込みに行くだろうか? しかし、隣の家の人間が、土地の境界を越えて家を立てたり、自分の家の物を盗みに家に侵入したら、それは警察に行くなり、金属バットを持って戦いに行くなりするだろう。 これと同じで、戦争が起こる理由は、国同士の利害の衝突によって起きるもので、それが我が国の利害を損ねる場合は、自存自衛のため止むを得ず戦争に向かうこともある。 しかし、戦争が何故起こったのかを検証する場合は、先の例のような個人の時と異なり、単純にやられたからやり返すという理論だけではなく、いろんな要素が絡み合うことが通常である。 そのプロセスには、国家の政治、経済状況、宗教観が合わさって、戦争に向かうことがほとんどである。 最終的には自国の利益のために戦うのではあるが、その背景には時代というものが横たわっている。 その時代を知ることで、何故戦争にひた走ったのかの理由が分かるのである。 では、国家興亡の危機を迎えたあの戦争は、何故起きてしまったのか。 そのいろんな要素とは何だったのだろうか? 当時の日本は日露戦争に辛勝し、戦争相手だったロシアから中国の遼東半島のほとんどの租借権を与えられる。 またその際に南満州鉄道と、安奉鉄道という二つの鉄道の経営権を得ることになり、同時にその鉄道を守るための軍隊の常駐が許されることになる。 関東軍と呼ばれるこの軍隊は、最初は1万人程度だったが、ピーク時には70万にもなる組織にまで至ることになる。 日本はこの満州を得たことで、ロシアの南下を防ぐ防衛線を引くことができると共に、資源の少ない日本にとっては、満州で採掘される資源は大きく、以降満州経営は国家の一大懸案事項となるわけである。 広田弘毅内閣の時には「二十年間百万戸計画」と言う国家施策が報じられ、民間人の満州への移住を積極的に奨励していく。 昔の映画を見ても、あぶれ者や、食い扶持に困った農家の次男坊とかが、新天地を目指して満州に向かうなんてシーンもよくあったが、日本人にとって満州は、アメリカ大陸発見後の移民達のように、希望に満ちた大地だったようだ。 しかし、満州統治は順風満帆とはいかなかった。 そもそも満州は中国の満州人の土地である。 いくらロシアから租借されたとはいえ、日本人が好きにしてよいという話では無い。 もとより満州の人々が日本の軍部が幅をきかせる現状に、誰しもが喜んでいたわけではないので、線路の枕木を盗んだり、日本の施設に石を投げたりと、小さな小競り合いは起きただろう。 折しもお隣の中国では、清王朝が欧米諸国に食い物にされている現状を憂い、知識人や学生が蜂起し、三民主義(民族主義・民権主義・民生主義)を唱えた孫文指導の下、各省独立を果たした辛亥革命が起こる。 辛亥革命の主な思想的な原動力は、君主制(清国)の打倒・外国の排斥・地権平等・民主国家の建国が主な旗印なので、当然のように帝国主義にひた走る日本も、敵対視される。 結果として孫文の中華民国の思想は、袁世凱を中心とした北洋軍閥と呼ばれる、まあ簡単に言えば地方にいる族の頭みたいな集団によって撤回されてしまうのだが、いずれにしても中国は新しい国作りに邁進していた。 そんな時第一次世界大戦が勃発(1914-1918年)し、日本はこれぞ好機とばかりに、「対華21箇条の要求」を中華民国政府に突きつける。 鉄道の租借期間の延長や、第一次世界大戦に敗れたドイツの権益の継承に、日本人を政治の中枢に添えるなど、ジャイアンも真っ青のかなり強硬な要求を行う。 これに中国の学生達を中心に反日の気運が募り、五・四運動という反日愛国運動が起こる。 中国の国づくりが進むにつれ、この反日感情はより拍車が掛かり、たまたまロシアに勝った島国日本が、自分の国を蹂躙している事に、憎悪を抱くようになる。 孫文と共に共和制の実現に尽力した蒋介石など、有能な軍人が国民党軍という自国の軍隊を強め、軍閥を次々と倒す中、日本に対しても諍いが起こったことで、満州の支配を進めたい日本の軍部の暴走とも言える、満州事変に繋がって行く。 日本が、あの戦争に向かった理由は、第一に満州の維持が挙げられる。 満州は日本の生命線として、仮想敵国である大国ロシアの南下を防ぐ防衛の要として、朝鮮半島と共に要地となり、また、日本の物資の供給地として、必ず守らねばならない土地であった。 言わばその権益を守るため、日本は中華民国と泥沼の戦いを繰り広げ、国際連盟から脱退し、やがてドイツと手を結び、結果日本は南進の道を進むことになり、やがて米英と衝突することになるわけである。 全ては満州から始まり、背景にはロシアの脅威がある。 あの戦争が自存自衛のための戦争であったことはもはや疑う余地はないのだが、確かに日本は対華に対し強硬な姿勢を取り、侵略を行なった。 しかし、それが直接日本民族が悪として捉えるのはいささか短略的すぎる。 当時の世界の情勢は、帝国主義が根強く残り、日本だけが権益を広げる侵略を行なってきたわけではない。 だから日本は悪くないと言っているのではない。 反省に立つことも勿論必要ではあるが、日本がただ闇雲に世界秩序を乱すために、戦争に及んだ訳ではないこと、また、行われた全ての行動が、当時の社会情勢を鑑みて、非道なものであったのか、それを知る上で、満州という、日本が手にした土地のことを知る必要がある。 出典・資料 Wikipedia 「辛亥革命」「孫文」 半藤一利「昭和史」 宮脇淳子「世界のなかの満州帝国」
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