ダラス・バイヤーズクラブ

監督 ジャン=マルク・ヴァレ
出演 マシュー・マコノヒー ジャレッド・レト
制作 2013年アメリカ

人は生きる上で理不尽さを感じ、怒りを持って生きている

(2014年11月10日更新)

  • 「正していこう」というこのサイト内のうんちく系エッセイがあるのだが、先週、大麻について書いたら、メールで大麻は危険であることを教えてくれた人がいた。 ご意見はありがたく頂戴しながら、やっぱりタバコは吸っていいのに大麻は吸ってはいけない理由がよくわからないので、訂正せずにいる。 アメリカ発のドキュメンタリーをよく見るせいか、なんだかアメリカの悪者っぷりに洗脳されているのかもしれない。 ここは少し反省せねばと思いながら、今回はHIVについての映画について語るのだから、やめとけよという感じである。 エイズは始め同性愛者の病気であるかの報道がされ、それこそ偏見に満ちた病気だったのを覚えている。 その後日本でも薬害エイズ問題があって、いやいや血液の病気なんですよ、ということが理解され、最近では全く耳にもしなくなっている。 日本ではもう誰も罹っていないのかと言われればそんなことは無くて、厚生労働省は2012年のエイズ発症者は447人だったと発表したそうで、少しづつ罹患者は増えているそうだ。 トータルでは2万人を超える発病者数だそうだ。 エイズ報道が報じられない理由は、エイズには差別の温床があるからかもしれない。 エイズは体液などの接触によって感染するため、それこそ患者に触れるだけで発病する可能性がある。 報道によって万が一その個人が特定されてしまうと、その人はその地域に住めなくなる可能性があるため、比較的報道は抑え目なのかもしれない。 しかし、その結果、日本でのエイズの意識が低くなり、日本のエイズ患者がなかなか減少しないのかもしれない。 もし明日エイズを宣告されたら? 僕ならまずは自分の身を守るため、人に接せず、このエッセイでも書いて暮らすかもしれない。 差別を受けるのも嫌だし、卑屈に生きるのも嫌である。 また人にうつすのも迷惑だろうから、かねてから夢見ていた、人のいない山奥で、田舎暮らしに挑戦するかもしれない。 聞けばエイズはアルツハイマーと同じで、治ることはないが、進行を遅らせる方法はあるということで、生きてさえいればいつか特効薬が現れる可能性もある。 ならば、なるべく他の病で死なないように、山奥にでも住むのが一番ではないかと思うわけである。 この問いかけに今回紹介する映画「ダラス・バイヤーズクラブ」は、実に明確な答えを出している。 「エイズでは死なねえ」男が生きるためにしたことが、この映画のテーマである。 よく命懸けでやればできないことはないと言うが、この言葉を地で行く映画である。 またこの映画の中では、エイズの特効薬を作る病院と、薬剤会社の悪どさと無能さが描かれている。 企業の売上至上主義が、多くの人間の命を奪ってしまう。 日本でも危険だと言われた非加熱製剤を使い続けたのも、薬の在庫を抱える会社が少しでも在庫を減らすように、という意図の下で、使い続けて感染者を増やした背景があって、いつも人の心をダメにするのは経済優先主義である。 映画の中の主人公の男は、人一倍生きる力を持っている。 薬の買い付けに世界中を飛び回り、その資金源を同じエイズ患者に薬を下ろすことによってまかなう。 薬は何も体に害があるわけではない。 ただ政府が認可していないだけのペプチドT。 政府が認可するのは、特定のロビイストが利益を生む可能性のあるものだけ。 この歪んだ現実に、痩せっぽちのテキサス男が挑むわけである。 映画の男は決して、ヒーローではない。 彼は自分が生きるために行動しただけである。 その原動力は生への執着と、怒りである。 この男と比べれば規模が小さいながらも、人は生きる上で理不尽さを感じ、怒りを持って生きている。 その怒りをぶつけることなく、ほとんどの人は日々を生きている。 そんな僕たちパンピーにとって、映画の男はヒーローではないが、憧れるべき存在である。 主演のマシュー・マコノヒーはこの映画に向けて21キロの減量をしたそうだ。 最近流行りのデ・ニーロアプローチは、俳優の矜持みたいなものなのだろうか、その役に対し、圧倒的なまでの演技を見せつける。 CG全盛の時代に、別に本当に痩せなくても、という人がいるかもしれないが、僕はこの役柄だからこそ、演者が自分の体の改造までして演じているのだと思う。 それだけこの主人公には魅力がある。 何か生きている感じがしていいなあ、と感じる映画でした。
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