ドラゴンタトゥーの女

監督 デヴィッド・フィンチャー 原作:スティーグ・ラーソン
出演 ダニエル・クレイグ ルーニー・マーラ
制作 2011年アメリカ

優秀な人が優秀なる力を発揮できる世であって欲しいと、心から願うばかりである

(2012年06月25日更新)

  • 櫻井よしこさんをテレビでお見かけするといつも優秀な方だなあと思う。 多くの男性論客を前に、女性らしい受け流しと、的確な指摘をされ、またその言葉の端々に感じられる、知性及び政治的に正しい思想や国民を先導する強いカリスマを感じずに入られない。 是非とも政界に入って、アホな政治家を上品にしばきまわしてもらいたいものである。 よく仕事でも女性と男性どちらが優秀か?なんて話になる。 デリケートな問題ではあるので、僕はなるべく女性が優秀と言うようにしているのだが、内心は優れた女性はそれなりにいるだろうし、どうしようもない女性もそれなりにいると思っている。 因みに男性はだいたい似たようなもので、内容にもよるが、仕事の優劣だけでは、誰がやってもそんなに差はないと思っている。 何でそう思うのかは、女性は会社だけに一生懸命になる人は少ないが、男性は会社だけの人が多いからである。 一般的に男性は、会社への傾倒が女性よりも高いため、その分手も抜くこともあれば、人付き合いだの、会社への帰属精神で点を稼ぐ人が多い。 しかも女性は子どもを生むため、どうしても家庭へ体の半分は持っていかれるわけで、そもそも仕事に対しての時間の使い方も違ったりするので、男性と同じ土俵で論ずるのもおかしいと思ったりするのである。 世の中の風潮としては、男性も子どもの世話を見ようと言うことになっているので、僕も子育てに参加しようとは思ったのだが、社会全体の構造が古いので、やはり子育ては女性に任せて男は会社一辺倒という方が、何かと生きやすくはある。 何が言いたいかと言えば、とどのつまり男性と女性の優秀さを比べるのは、ライオンとサメがどちらが強いかを論じるようなもので、男性と女性は違う生き物として考えるべきであるということである。 しかし、過去の歴史の中では、女性が男性より優秀であるという時代は少なかったように思う。 女性は大学に進むことも許されず、学問をすること自体恥と見られる時代があった。 18世紀から19世紀までに生きた天才的な数学者のソフィー・ジェルマンは、幼い頃に数学の魅力にとりつかれてしまう。 しかし、親から数学の勉強を反対され、父親は勉強ができない環境にすれば良いのではないかと考え、ソフィーの部屋を暖も取れない寒い状態にし、あまつさえろうそくさえも取り上げ、夜に勉強ができないようにすることで、彼女の学問への意欲をそごうとした。 今の常識なら「なんちゅう親や」だが、当時の社会を考えると、女性が大学に行くなんてことは、そんな生意気な女は一生結婚できず、家庭を築けないと決まったようなもので、親として娘の幸せを考えれば、当然の行動だったのである。 しかし、ソフィーの数学への意欲は消えることなく、当時男性しか入学できなかった大学に、別の実在の男性の名前を騙って入ってしまう。 親に反対され、人並みならぬ努力をし、嘘までついて勉強がしたかったとは、耳が痛い話である。 その後ソフィーは数学者としての道を歩きだした後に、ソフィー・ジェルマン素数を生み出し、かの有名な数学会最大の謎解きだった、フェルマーの最数定理の解読に一役かっている。 女性にも優秀な人がいて、男性にも優秀な人がいる。 こんな分かりきったことを、過去の男性社会では許してこなかった。 突き詰めれば、男性の子供じみたエゴイズムで、長らく女性は機会を奪われてきたのだと思うと、男性がいかに間抜けなのかが立証されているようでもある。 そういう意味では、女性の方が優秀と言えるのかもしれない。 映画「ドラゴンタトゥーの女」は、「セブン」や「ゾディアック」という猟奇物を世に送り出した監督らしい、屈折した人間が描かれた映画である。 主人公の女性は、12歳で父親を殺そうと部屋に火を放ち、23歳の今も保護観察が付く、パンキーな女性であり、体にドラゴンの刺青を入れている。 彼女の武器はパソコンとその思考力、そして獣のような攻撃性である。 非合法に相手を調べ上げ、ハイテク機器と暴力を使って敵を完膚なきまでに叩き潰す。 しかし、彼女の周りには余りにも不条理がはびこり、彼女自身を苦しませる。 彼女はその不条理さから戦うために強くなり、そして賢くなっていく。 その姿は格好よく、何よりも小気味良い。 彼女はその優秀さから社会に適合できず、またその見た目のか弱さから社会に攻撃される。 少女のあどけなさを残しながらも、彼女は強くならなければ自分らしく生きていくこともできない。 過去数多排出した優秀だった女性が、彼女のように社会の目に見えない圧力のようなものに潰されて、その才能を開花させることができなかったのではないかと思うと、なんだかやるせない気分になる。 そう思うと、自分が女性として、またか弱きものとして抑圧された社会と戦い、知恵と獣のような力で敵を倒すこの映画の彼女は格好がいいし、新たなヒーローの出現を予感させる。 ソフィー・ジェルマンは後に、憧れていた歴史に名を残す大数学者ガウスとの文通を行い、ガウスにその実力を認められるが、後にガウス自身が、興味の対象が数論からより高い次元の応用数学に移ったことで 彼女への手紙の返信も行わなくなる。 すっかり自信をなくしたソフィーは、わずか1年も満たないうちに数学を捨ててしまう。 その後彼女は物理学の道を進み、音響学の観点から配慮が必要となる建築物に対し、その素材の弾性体表面の動きに関する、金属の弾性理論の確立に貢献している。 この論文自体は、物理学の評定では満点と言うわけではなかったようだが、彼女の執拗な知への欲求と、才能の豊かさが評価され、この論文は懸賞論文として賞を授与されている。 因みにこの懸賞論文はナポレオンが募集したもので、彼は本当に科学や物理が好きな人だったようである。 国の役人は彼女の死亡証明書を発行する時、「数学者」と呼ばず「年金受給者」と呼んだそうだ。 客観的に見て彼女はフランスの歴史上もっとも知性のある女性の一人と言える。 しかし当時の社会は彼女を認めず、彼女に不遇の仕打ちを行なっていた。 だが、彼女はその仕打ちに対しても、純粋なまでの学問と数学への愛情と、比類なき才能があったため、世に功績を残すことができた。 優秀な人が優秀なる力を発揮できる世であって欲しいと、心から願うばかりである。
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