ドリーム

監督 セオドア・メルフィ
出演 タラジ・P・ヘンソン オクタヴィア・スペンサー ジャネール・モネイ
制作 2017年 アメリカ

「隔離すれども平等」の原則

(2018年04月14日更新)

  • 「歴代大統領で尊敬できる人物」を聞くと、多くのアメリカ人がリンカーンの名前を上げるそうだ。 それを裏付けるようにマウント・ラッシュモア国立記念碑の4人の大統領の一人として、山の上で在りし日の姿をご拝顔できる。 実際に何をしたのかと問われれば、他の3名の大統領よりも明確に答えることができる。 もちろん南北戦争と黒人奴隷制度の撤廃である。 しかし黒人奴隷制度撤廃以降のアメリカがどういう道をたどって、今のような平等な社会を作り上げたのかを知らない日本人は意外と多いのではないだろうか? そもそも南北戦争で黒人が解放されて平等な社会が実現したはずなのに、何故差別は続いたのか? この疑問を理解するためにはジム・クロウ制度というものを知る必要がある。 そもそもはミュージカルの登場人物の名前からきているそうだが、端的に言うと人種隔離のことを指す。 背景をみると、南北戦争(1861~65)以前にすでに急進的な考えをもっていた北部に多くいた非奴隷所有白人と自由黒人と呼ばれた、奴隷ではない黒人とが民主的なつながりを持つことを危惧し、ホテルや食堂など公の施設内での人種隔離を法整備し、白人の優位性を保とうとする動きがあり、南北戦争後は州法という形で人種隔離を規定していく。 一度はこれら隔離法を違法と断じ、和らいだ時もあったが、実質的な隔離法はなかなか無くすことができず、19世紀末には鉄道での白人・黒人の車両分けなどを行う隔離政策を法律化したことを皮切りに、「隔離すれども平等」などという訳のわからない司法の判断も手助けとなり、隔離政策による黒人差別はどんどん定着していくことになる。 結局この制度は、1954年に連邦最高裁が「隔離すれども平等」の原則を破棄するまで続けられることになる。 では隔離政策とはどういうものなのか? 例えば先ほど書いたような電車の場合は、黒人車両と白人車両に分けて、両者が同乗しないようにしていた。 設備も粗末だったようで、当時の資料写真何かを見てみても、粗末で窮屈な社内で、わかりやすく差をつけられている。 ひどいのになると病院に行って白人の看護士がいると黒人は受診できないというものもあるそうで、それこそ急患の場合は、白人がいるかどうかを判断してから病院に行かなければならないわけなので、土俵の上で倒れた市長を介抱するために女性が土俵に上ったのを責めるどこかの協会さながらの行為に思えてしまう。(今は2018年4月です) なかなか聞き分けの悪い白人に対し、黒人の中で黒人解放の気運が高まり、キング牧師やマルコムXといった黒人解放運動が大きくなっていく。 キング牧師は暴力に訴えず法には法で立ち向かい、地道な運動の成果としてジム・クロウ制度の違憲性を裁判で勝ち取り、実質的に黒人の隔離政策も終了していくわけである。 今回の映画紹介「ドリーム」はまさにこの当時の黒人差別が残るアメリカの航空宇宙局(NASA)の黒人女性エンジニア3人の物語で、実際に存在した人物を描いたお話である。 正直NASAにも差別があったことが意外で、且つショックを受けたのだが、モデルとなった女性からは、NASAで差別があったということを感じたことはなかったという趣旨のことを述べているそうなので、この辺は映画の誇張なのかもしれない。 そういった映画的脚色はまあ添え物程度と考えたとして、物語に描かれたお三方は、逆きょうの中本当に素晴らしい仕事をする。 その仕事に向かう真摯な気持ちが現実でもあったのだろうと想像をすると、やはり人間の仕事というものは人に感動を与えたり、人を助けたりするものだとつくづく考えさせられる。 自分に置き換えてみて、僕は今の生の中で彼女たちのような仕事ができているのだろうと、改めて気を引き締めなおしたり、元気をもらったりする。 愛のない世界とは言え、一生懸命に何かに向かう人が報われる世の中であってほしいと思うわけである。 個人的な意見だが、NASAで技術者を目指すメアリー役のジャネール・モネイさんがとても美しい。 彼女を見ていると、黒人を外見だけで差別していたこと自体に疑問を感じてしまうのは僕だけでしょうか。
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