セッション

監督 デイミアン・チャゼル
出演 マイルズ・テラー J・K・シモンズ
制作 2014年 アメリカ

ぬるさの中に本物は生まれはしない

(2015年10月22日更新)

  • 僕はロックファンである。 どれくらい好きかというと、もしもロックが液体だったら、プール一杯にして飛び込みたいくらいである。 とは言え、ヘヴィメタルのようなマスター音のボリュームを絞ることを知らないロックは苦手で、専門は60年代のロック創生期がお好みである。 60年代といえば、ビートルズに始まりビートルズに終わるといっても良いくらいで、いわばイギリスの港町、リヴァプール出身の4人の若者が、世界の音楽シーンを牽引していくのだが、もう一方で、ブルースの時代でもあったことを忘れては成らない。 ローリング・ストーンズやキンクス、フーのようなバンドも、ブルースに多大な影響を受けていて、実際のカバー曲もブルースの名曲が多い。 そして同時代のブルースギターの名手といえば、日本でもファンの多いエリック・クラプトンである。 彼のギターテクニックは、そのあだ名「スロー・ハンド」からも分かるように、ギターのリフの動きが早すぎて、スローに見えるほどだったという。 スポ根アニメの言い回しのようである。 クラプトンの凄いのは、セッションである。 最近(と言っても20年近く前になるが)でもMTVと言う、アメリカの音楽番組で行ったセッションがやたら格好良くて、今でも多くのバンドがカヴァーする名曲「レイラ」なんかは、何回聞いたか分からない位に素晴らしい。 クラプトンは若い頃からセッションを大事にしており、伝説のバンド「クリーム」に在籍した時には、ロックスタイルでワウペダルを使ったファズったギターが格好良く、獣のようなジャック・ブルースのベースや、ジンジャー・ベイカーの自由なドラミングに負けない迫力で演奏をしている。 若さゆえの主張の激しさか、その攻撃性が本当にロックしていた。 現代では音楽というものはそれこそキャッチーさや、華やかさを求める傾向にあるが、当時は荒削りさや、演奏力なんかに客が魅了されていた部分がある。 無論キャッチーさや、華やかさもいらないわけではないが、ロックの創成期のバンドがライブで見せる新しい刺激的な何かを望んでいたように思う。 しびれる演奏を求める客にバンドが応えることでバンドは切磋琢磨し、その中でクラプトンという不世出のギターリストが生まれたのであって、その他多くのギタリストが腕を競ったわけである。 クラプトンと同じバンド出身のギタリストジェフ・ベックなんかは、ギターだけのアルバムでヒットチャートにのせていたりする。 最近の音楽には、音楽のぶつかり合いみたいのが、メジャーシーンに乗ってこないのが、やや残念ではある。 ということで、音楽の話は尽きないのでこの辺にしておいて、今回の映画は「セッション」である。 書き始めにクラプトンの話を書いたのは、映画の中で何回も登場するチャーリー・パーカーのせいかもしれない。 チャーリーは夭折のジャズのサックス奏者で、日本でもファンは多くいるようだ。 僕はジャズはあまり詳しくは無いが、名前だけは知っていた。 森田童子の「僕達の失敗」で♪チャーリー・パーカーみつけたよ♪という歌詞が出てくるからではない。 理由は、クラプトンがメジャーになるきっかけとなった伝説のバンド「ヤードバード」の名前は、チャーリーのあだ名からつけたということを聞いたことがあったからである。 ちなみに先ほど書いたジェフ・ベックはクラプトンが抜けた後にこのバンドのギタリストになり、その後レッドツェッペリンのギタリストとなるジミー・ページに受け継がれる。 チャーリー・パーカーのことは、クリント・イーストウッド監督の映画「バード」にも詳しいので、見てもらうと良い。 主演のフォレスト・ウィテカーは似ているかは知らないが。 さて映画のエッセイの続きだが、この映画を観終わってすぐに、クラプトンが在籍していた「クリーム」のセッションを思い出した。 迫力のある演奏が延々繰り返され、キャッチーなメロディーもなく、ぶつかり合うセッションがあふれ出す。 そのときの現場の熱が、時を経て、オーディオから伝わってくる。 互いが自分の持てる技量を全て出し切ろうとするその音楽に、やや冗長で、やや熱さを感じる。 その熱が音に乗り、空気にこだまし、風を起こす。 好きな人は好きなんだろうなあと思う。僕も好きですが。 映画のラストシーンには、クリームのセッションのような熱が確かにあった。 このシーンだけでも十分に音楽映画の中の秀作と呼んでも構わないだろう。 映画の中で、教授役のJ・K・シモンズが言うセルフがある。 「チャーリーが大成したのは、下手な演奏をしてシンバルが飛んできたからだ」 ジャズの巨人も挫折から己を磨き、事を成しえた。 ぬるさの中に本物は生まれはしないということだろうか。 この言葉は確かに尤もで、今の社会の中には厳しさがない。 だからなのか、職人も少なくなり、本物を求める人も少なくなった。 仲良し社会の弊害なのか、それとも進化するということはそういうことなのか。 突出した才能や、トリッキーさは必要がなく、万人に好かれるものこそがすばらしいのか。 古びた脳で答えを探すが、やはりエンターテイメントくらいは魂のぶつかり合い見たいなものがあってもよいとは思う。 少なくともロックはそうあって欲しい。
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