マレフィセント

監督 ロバート・ストロンバーグ
出演 アンジェリーナ・ジョリー エル・ファニング
制作 2014年アメリカ

正に愛こそ無償なのである

(2015年01月12日更新)

  • ある面接現場で、面接を受けた人にこんな質問をする。 「24時間365日働いて、無給です。あなたはそんな仕事に就きますか?」 受験者は口を揃えて言う。 そんな馬鹿な仕事には就かない。 しかし、この質問は冗談ではない。 次にこう質問は続く。 「しかし、この職業についている人はいます。あなたもよく知る人物です」 受験者は一様に笑ったり、馬鹿にしているのかと憤る。 そんな奴いるわけがない。いたら連れてきて欲しい。私の知る人物?馬鹿げている。 面接官は続ける。 「あなたの母親です(母親がいなければ肉親)」 受験者たちは一様に微笑み、そして母への感謝の思いを新たにする。 この話を僕がとても好きなのは、この話が面接の現場であるということである。 彼らは職を得ようとしている。 職を得るということは、給与をもらい自分の生活に役立たせるということである。 しかし、その職のもとになるのは、人への奉仕である。 人が働くというのは、基本は他者への愛に基づくものなのだということである。 とは言っても企業側に愛がなければ、そんなものはただの搾取のための詭弁なのだが、人の本質は人のために生き、人のために知恵を出し、人のために働くということなのかもしれない。 勿論この冒頭の面接の例は、唯の母親に感謝しようというコマーシャルである。 しかし、職というものに対し、なかなかに本質をついた良いコマーシャルだと思うわけである。 愛をテーマにした物語は多くある。 特に昔話しの中で、愛は幾多登場する。 シンデレラは王子の愛を受け、自らの貧しい状況から抜け出し、美女と野獣も愛が野獣の姿を人間に戻す。 竹取物語のかぐや姫は、竹取の翁に愛情を持って育てられ、かさ地蔵の傘売りは野の地蔵にも愛を向ける。 愛は異性との愛で描かれ、家族の愛で描かれ、人々の胸に美しい明かりを灯す。 冒頭の面接の話しは、愛というものもうまく表現されている。 正に愛こそ無償なのである。 映画「マレフィセント」を観ながら、すぐに冒頭の話を思い出した。 眠れる森の美女という、定番のストーリーを、逆に魔女の側にスポットを当てて描かれている。 この物語では、男は自らの地位を高めるために、相手を欺き、そしてその罪意識から逆に非道になり、愛を失っていく。 女は裏切られた相手に対し、怒り相手に対しひどい仕打ちを行うが、その愛故に自らの過ちを正そうと考える。 僕は男なので、大変に耳が痛いのだが、この感じは子育てをするとよくわかる。 母親は子どものどんな行動にも寛容で、叱りはしても必ず許す。 男の僕は叱責し、理屈に合わない理由を話し、許すということをあまりしない。 この違いこそが男女の愛の違いのような気がするのである。 魔女は愛を持ち得て、王は愛を持たず自尊心や欲を抱えている。 その愛は、やがて自らの怒りさえも氷解させ、ただ無垢な女の子を救うという、愛に変換される。 語り継がれた、紋切り型の昔話よりも、愛についてよく描かれた良い映画でした。 P.S 眠りの森の美女をベースにしながら、眠りの時間が短いところも、何気に好きです。 童話でありながら童話感を排除したかったのでしょうか?
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