クロニクル
監督 ジョシュ・トランク
出演 デイン・デハーン
制作 2012年アメリカ
いつの日か超能力も解明されて、人が重力を支配し、空を飛ぶ日も来るのかもしれない
(2014年12月28日更新)
- 手塚治虫先生の漫画で、ユフラテの樹というのがある。 この樹に生える果実を食べると不思議な能力が身につくというもので、学生3人組がこの果実を食べて、その能力で人生が狂っていくという話である。 人は誰しも超人的な力に憧れる。 例えば跳び箱の時間に、自分が体操選手だったら格好よく飛ぶ姿を好きなあの子に見せることができるのに、みたいなことを一度は考えたことがあるだろう。 僕はこの年になってもたまに思うことがある。 しかし、実際の人間の能力は、努力なしには伸びはしない。 逆にやらなければ退化していくのが常というものである。 かのアインシュタインも言ったように、人間の脳はその機能を10%しか使っていないそうだ。 実際にはもう少し低く、5%前後くらいしか使っていないというような話もたまに見かけるのだが、いずれにしても脳はその実力の数%しか出していないというのは事実のようだ。 大谷を温存したままの日本ハムのようなものである。(言い過ぎ) では脳の実力を100%出し切れば、アキラの鉄雄バリの超能力が発揮できるのかしらんと思いたいところだが、そんなことはたぶんない。 脳の機能の殆どはつながりにあり、例えばサヴァン症候群の人なんかが持つ特殊能力を考えると分かるのだが、ある一部の機能が欠損したために、他の機能がそれを補うというのが超人的な力の正体である。 要は目が見えない人の嗅覚が異様に高いとか、普段の会話はできないが、本の内容は一字一句間違えずに言えるとかは、まさしく脳の補完機能と言える。 脳は、生物が生きる上で必要な能力として発達していくので、生きることに支障が出る部分を、他の機能が補うことはあるが、そうでなければ脳がほかの人と異なる超能力的な機能を発揮させる必要がないのは、何となく理解できる話ではある。 人間の生活にもよく似たことが言え、夫婦という別の性別の人間が暮らすのは、お互いを補完し合うからだと考えられる。 わかりやすく言うと男は子どもを埋めないが、狩りをして食料を持ってくることはできる。 女は狩りは比較的苦手だが、子どもを作り子孫を残すことはできる。 そうして考えていくと、アインシュタインが脳の機能の話をしたのも、脳そのものの機能の話ではなく、人間が森羅万象で解き明かすことができたものは、未だ10%にも満たず、今後ももっともっと新たな発見を人間はやっていくのである、ということの一流の表現だったのではないか? つまり脳とは、人間の作り出す世界、の隠喩なのかもしれない。 という流れで何の映画の話だ?と思われたかもしれないが、今回は超能力映画「クロニクル」である。 内容はユフラテの樹そのままの、何か奇怪な穴の中にあった物質に触れたことで、超能力を身につけたうだつの上がらない学生が、その力で街を破壊してしまう、というような話である。 今や陳腐な内容ではあるが、凄いのはその映像である。 多分フルCG的なのだろうが、空を飛ぶシーンや、ものを動かしたり破壊したりするシーンは、ディテールにも配慮した凄い映像になっている。 内容はチープでも映像はかなり革新的なのである。 物語の運びも、街のカメラや、主人公の中古カメラで撮った映像をつないで作られている。 まるで映画ではなくドキュメンタリーのような仕上がりになっていて、よりリアリティーに配慮されている。 リアルな超能力を描きたかったのだろうか?最初から空想だと思う内容だからこそ、逆に徹底した矛盾の排除に挑んでいるように感じられる。 この映画の企みが成功していると感じられれば、確実に人は空想の世界を、現実のように見せる所まできているのだという事かもしれない。 この映画を観ながら、遥か昔に考えられた物語がいよいよ現実味を帯びてきたように見える。 ロボット開発や、火星探険、地底調査に暗黒物質の証明。 人類はこの近年、様々な解明を求めてきた。 今、アインシュタインが生きていたら、人間の脳は何%活用されているとおっしゃるのだろう? そしていつの日か超能力も解明されて、人が重力を支配し、空を飛ぶ日も来るのかもしれない。
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