グランド・ブダペスト・ホテル

監督 ウェス・アンダーソン
出演 レイフ・ファインズ F・マーレイ・エイブラハム
制作 2014年イギリス=ドイツ

滅びに向かう前に楽しかったことを思い浮かべても良いのではないだろうか?

(2014年12月09日更新)

  • 独りがたりの手法はよく使用される。 古くは夏目漱石の小説「こころ」でも先生との思い出を独りがたりで進めていく。 映画でも同じように物語を思い出す形でストーリー展開するものは少なくない。 この手法にはある種のノスタルジーが潜み、観る側に深い感慨を覚えさせる。 昔を語る主人公に対し、その思い出を俯瞰で見ることを思わせ、また時間の経過を感じさせることで、ストーリーの中に独特の淋しさを覚えさせる。 物語の当初、堅苦しそうな男が、何かを思い出すように語り始める。 回想シーンは大抵は夏の暑い海であったり、さわやかな春の高原だったり、思い出を語る場面とのギャップに読み手側は、ああこれから話が変わっていくのだなあと思わせ、今後の展開に思いを巡らせる。 この過程が多分淋しさを感じさせるのだろう。 栄枯盛衰。盛者必衰の理をあらわすではないが、光があるから影があり、その光の物語を語るときに、ノスタルジーがある。 この感覚は、年をとってきたせいか、日に日に感じることがある。 話は少し変わるが、僕は大阪市出身で子どもの頃によく言った遊園地にエキスポランドと、ポートピアがあった。 エキスポランドは吹田市という所にあって、ポートピアは神戸市の博覧会跡地の人工島にあった。 この二つの遊園地の共通点は、博覧会の跡地にできているということと、今はもうないということである。 最近子どもを連れて、ポートピアがあったポートピアアイランドのホテルに泊まった。 目的はユニバーサルスタジオに行くためだが、久しぶりに訪れたポートピアは、どことなく無機質で、そもそもが人工島であることもあるのだが、何となく生気が感じられなかった。 昔はきらびやかに見えた大型ホテルも、なんだか寂しげで、全体的に澱んだ雰囲気がした。 確かに存在した遊園地も、さっぱりどこかもわからなくなってしまって、高校生の時にダブルデートしたあの思い出も消えたように感じまあまあ切なかった。 人工物というものはきらびやかだった時があればあるほど、そのきらびやかさを失ってしまうと、どこか郷愁のようなものを漂わせながら、ひっそりとしてしまうものだ。 この前も軍艦島の跡地の写真集を見たのだが、行ったこともない軍艦島だが、たまらないノスタルジーが写真のそこらに溢れている。 多分、賑やかだった記憶が建物のそこかしこに刻まれ、その頃を知らない人にも感じられるオーラみたいなものが建物に宿るのかもしれない。 それは何も走らなくなった線路跡や、動くことのない公園のSL何かにある、機能美を備えた機能性を失った姿に似ている。 いつか終りが来る。 そう語りかけている気がするのである。 「グランド・ブダペスト・ホテル」というタイトルを観た時に、必然的に喜劇を思い浮かべた。 映画の宣材も何となく楽しげな雰囲気があって、おかしさを期待して映画を観た。 しかし、中身はホテルと、そのホテルと共に生きた男の話だった。 語り手は男に鍛えられたベルボーイ。 男はコンシェルジュだった。 ホテルはきらびやかで豪奢で、コンシェルジュの男はそのきらびやかさを完璧に演出していた。 時には年上のマダムの夜のお相手までして。 しかしある事件がきっかけで男は濡れ衣で囚われの身になる。 男とベルボーイはホテルの威信と自らの名誉のため、自分を貶めた犯人を探す。 この映画には昔の映画にあった奇抜さや、奇想天外なストーリーに加え、時代に合わせて画面サイズも変えているこだわりがある。 ホテルの在りし日の姿と、寂れた姿を対照的に描きながら、この作品はある種のノスタルジーを感じる。 それはもっときらびやかだった在りし日の映画の世界を思い起こさせるのである。 失われたホテルの豪奢さは、静けさを楽しむ客が利用するただの古宿に変わり、童話の世界のような美しいホテルも、外装は剥がれ、寒々しい雰囲気に佇むホテルになってしまった。 過去映画も特別な世界が描かれ、そのストーリーも現実離れしていた。 しかし、今はきらびやかさは薄れ、映画の中に夢は失われつつある。 今では富を得たベルボーイは、その採算の合わない寂れたホテルを買い、そのホテルにひっそりと宿泊する。 宿泊先は従業員用の狭い部屋。 ベルボーイは在りし日のホテルを思っているのだろうか? 人が作ったものには最後必ず終りがある。 それは人工物には再生がないからではないだろうか。 自然にあるものはやがて失われ、そして新たに再生する。 その再生の多くは生まれ変わりである。 その行為は形を変えることなく繰り返され、まるで永遠であるかのように思わせる。 人が作り上げたものには再生は無い。 あるのは滅びだけであり、滅びの中に自分を見るから、人は郷愁を感じるのかもしれない。 そしてこの感情は世代を超えて感じられる、共通の感情だと思うのである。 なぜなら人は必ず滅ぶからである。 僕は、失われた思い出の場所を思い浮かべるときに、その時の楽しかった思いが蘇る。 その思いは人それぞれだが、思い出に生きるのもそれはそれで良いのかもしれない。 なぜなら僕もいつか滅ぶのだから、滅びに向かう前に楽しかったことを思い浮かべても良いのではないだろうか?
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