風立ちぬ

監督 宮崎駿
出演 庵野秀明 瀧本美織
制作 2013年日本

「生きて」

(2013年07月27日更新)

  • 英文の先生だった夏目漱石が、生徒が「I Love You」を「我君ヲ愛ス」と訳したのを聞いて、「月が綺麗と言いなさい」と返したという逸話がある。 さすがは「肩こり」という造語をこしらえた、文学史上最高の言葉の遣い手の名訳だなあとは思ったのだが、このエピソードの面白い所は、日本に「I Love You」の概念が定着していなかったことである。 僕もこのエッセイの中で書いたことがあるのだが、家長制度の中で、結婚は家同士がするものであったため、比較的身分の低い人以外は、婚姻も自由ではなかった。 現代ならば人を愛することは普通のことなのになあ、とは思うので、昔の人は人を好きにならなかったのか知らんと思ったりもするのだが、そんなことは当然無く、平安時代の編纂の百人一首でも、「あなたに会いたい。ああ好き好き」的な、愛を詠む歌が多数あるのは、学校で習った記憶にあるのではないだろうか。 漱石の時代、日本では「愛」が無かったわけではないのだが、「愛」という表現は直接的過ぎるため使われず、「情」を含む表現が好まれていたということである。 しかし「情」という感情の中には、当然ながら今の愛を表すものが含まれており、それは「忍ぶ愛」もあれば「貫く愛」もあった。 「情」は愛を包括し、いくつもの愛を表すことができる。 いかにも曖昧な表現を好む日本人らしいといえばらしい。 要は愛を直接的に表現するのは無粋というもので、言葉を遣う仕事をする漱石のような人間こそ、遠まわしな「情」を感じる表現を好んだのだろう。 同時代の落ちこぼれ、くたばってしまえの二葉亭四迷は、ツルゲーネフの「片戀」の中で該当の表現に「死んでも可いわ」と当てたそうだが、家同士の結婚を行わない自由恋愛は死をも厭わないというのがこの頃の一般的な感覚だったのかもしれない。 この話には日本人の本来持っていた美意識が見え隠れする。 相手を愛するということは、一方で相手を考えることであり、周りを考えることでもある。 「我君ヲ愛ス」も別段悪くはないが、その気持ちを月の美しさに例えるその奥ゆかしさに美徳のようなものがあり、「愛」という表現では、表せない部分もあるとは思うのである。 てなことを考えて、現代ではこのような婉曲な言い回しは、ほとんど見られなくなったなあと思っていたら、テレビで若干頭の中が奔放そうな女の子が、すごい腹を立てていることを「おにおこプンプン丸」とか言っていて、腹が立っていてパ行使うかねとテレビにツッコミを入れてしまった。 本来怒りを表現するものさえも無くし、完全にドリーミーな世界に入ってしまい、正直おじさん「イミフ」(死後)である。 などと若干関係のない話を織り交ぜながらも、今回の映画紹介は「風立ちぬ」という、原作は堀辰雄で、映画化されると何故か戦争と絡められてしまう名作である。 この物語は「純愛」という、読書好きの少女の好物が全面に出ている物語で、ダメ押しに少女は不治の病に罹っている。 「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」の心境だろうか。 愛は彼女を生かそうとするが、死への導きは覆すことはできない。 やがて彼女は死を迎えてしまう。 こうやって書いてしまうと陳腐な話しなのだが、普遍の物語だからだろうか、色々な形にアレンジされると、単純な物語も生きてくる。 ベイ・シティー・ローラーズの「ロコ・モーション」のようなものだろうか? 宮崎アニメの世界観で、この題材を、しかも戦争に絡めて紡がれるお話は、正直想像しにくかった。 宮崎駿さんが物語の中で愛を語るのを見たことがなかったし、何より、史実としての戦争を描くということに違和感があった。 史実には隠しきれない負の部分が多くひしめいている。 しかし負の部分を隠して描いた史実は、それはもはやただのおとぎ話と化してしまい、それでは史実を持ち出す意味がない。 また愛を語るときに、特に直接的な愛の物語を描くときに、汚れた部分を隠してしまうと、空々しい愛になり、青い部分が強調されると、メルヘン性は失われる。 当然に見る人によるのは大前提だが、これらすべての懸念を、且つアニメというハンデがありながらも素晴らしく、深く感動した。 焼け野原に主人公が手がけた「零」は無残な姿を晒している。 「零」は悲劇しか産まなかった。 悲劇を生むものを作り上げた主人公は、愛した女性さえも病で亡くしている。 男の悲しみや虚無感を、物語りは小説の中に出るポール・ヴァレリーの詩句をアレンジして、語りかける。 「生きて」 このたった一言が物語を美しいものにし、優しく包み込み、次につながる高度経済成長の世の中を想像させた。 わずか半世紀前にはあった日本人の心が、映画では垣間見ることができたように思う。 とてもよい映画でした。
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