アメリカン・ビューティー

監督 サム・メンデス
出演 ケヴィン・スペイシー アネット・ベニング
制作 1999年アメリカ

アメリカ自体が、虚構の美に包まれた国であることを、観る側に突きつける

(2013年01月25日更新)

  • テレビで大家族の密着みたいなものをやっているのをたまに見かける。
    この少子化社会でよほど珍しのか、年に数回もやっているところを見ると、視聴率はいいのだろう。 確かに物質主義に毒されつつある現代に対してのアンチテーゼとして見ると、人間はやはり子孫を残すために生まれてきたのかもしれない、などと大仰なことを思ったりするのだろうが、人の家庭にカメラを入れるとは何となく悪趣味な感じがして、思春期の子ども何かは気の毒だなあとは思う。 そもそも干渉されたくないのに、面白半分で全国にさらされるわけなので、僕なら家出してしまいそうだ。 考えてみれば、昔の家庭は比較的子沢山で、僕の子どもの頃(1970年~80年くらい)でもスレスレ4人兄弟くらいの家庭は多くはないがあったように思う。 しかし、僕が親になって、同じ子どもを持つ世代を通してみても、3人子どもがいれば、「ああ、大変そうだなあ」何てことを思わなくもない。 これは僕も物質至上主義に毒されているからなのだろうが、一方で、子どもが多いことがそれなりに不幸な印象を持っていることも事実である。 例えば、昔の日本人の多い名前で「一郎」というものがあるが、最初に生まれた子どもは立派な名前をこしらえているのに、途中で面倒だからと7番目だから「七郎」などと付けられた例もあるし、留吉なんて名前は、子どもが生まれすぎたのでここで終わりという意味で「トメ吉」なんて由来を聞くと、その子が不憫に思えて仕方がない。 ここでは正確な名前は書かないが、僕の学生時代の友人の3人家族の3男坊は、オヤジが面白がって、冗談みたいな名前を付けたりしたので、何となくだが、家族に兄弟が多いことは、あまり良いことではないのではないかと、どこかで刷り込まれているようだ。 そもそも、日本人が子どもを産まなくなったのは、先程から述べている、生活の基準が「豊かさ」に変わってからのように思う。 昔は「精神」だの「モラル」だのを重視してきた日本人が、いつしか物質主義に変わってしまい、海外に行ってはブランドを買い漁るような、さもしい民族になってしまった。 これは、戦後にアメリカが行なった政策で、豊かさを目の前の餌に、精神構造を変えていったからだと言われている。 アメリカは、当時の日本のテレビ画面に、アメリカの中産階級の生活を映し出し、焼きたてのホームパイや、楽しくはしゃぐ子供の姿を映像の中に見せることで、精神の豊かさよりモノの豊かさの方が幸せであるという思想を植え付けていき、中国やロシア(当時はソ連)を阻む壁としての、資本主義国家を作り上げようとした。 60年経った今も、その呪縛からは解かれないまま、豊かさに合わせたライフスタイルを取ろうとしている。 そのこと自体を否定するわけではないが、しかし、豊かさを求めればキリがないので、日本人もここにきて豊かさだけでは幸せになれないのではないか?と思ってきているのではないだろうか。 とは言え、僕自身も贅沢は大好きなので、物質を除いた生活はたぶんできないだろうが。 映画「アメリカン・ビューティー」は、会社の異動で神戸の明石市に引越ししてきた日に、荷物の搬入までの時間が余ったので、今もあるか知らないが、大久保のマイカルで観たのを記憶している。 内容的に、時間つぶしに観ようという映画ではなかったが、それでもこの映画の革新的な部分に感心したのを覚えている。 映画を通して感じられるのは、現代社会に対しての批判である。 描かれる中産階級の家庭は、明らかにアメリカのモデルケースで、自分を押し殺して生きている姿は、同じくアメリカ社会が持つ物質主義に対する皮肉でもある。 主人公の中年男性は、物質社会から自由を求める生活を送ろうと試みるが、いざその自由を手に入れたことで、自分自身があまりに子ども地味ていたことに気づくが、最後は弾丸で脳天を打ち抜かれて死んでしまう。 彼が脳内で見た美しい女性は、彼が作り出した幻影であり、それはアメリカの美そのもので、アメリカ自体が、虚構の美に包まれた国であることを、観る側に突きつける。 彼はその美しい女性を現実の中で自分のものにするチャンスを得るが、しかし、それが描いた幻影と大きく違うことを知り、自分の間違いに気づくことになる。 僕は日本の真ん中らへんでその映画を観ながら、日本の間違いもこの映画のように、物質的な豊かさに関心をもちすぎていることにあるのではないかと思っていた。 それから10年以上経って、今の自分の生活を鑑みるとき、少しだけ中年男の考えがわかるようになってきている。 物質を追い求める社会に、少しだけ嫌気を覚えている。 僕が映画の中の男と違うのは、僕が日本人で、モノによる豊かさだけではない日本人の持つ美しい価値観を持っているということにある。 そして日本人である以上、僕は映画の中の男のような、真似はしないだろうなあ、と思うのである。 そういった意味で、この映画は楽しい。
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