イミテーション・ゲーム

監督 モーテン・ティルダム
出演 ベネディクト・カンバーバッチ キーラ・ナイトレイ
制作 2014年 イギリス

暴力を行ったとき人は高揚感を感じる。しかしその後に来るのはむなしさである

(2015年11月24日更新)

  • 以前ビューティフル・マインドの映画紹介で、ドイツの暗号機エニグマについて書いた。 そこで紹介したのが、今回の映画の主人公、アラン・チューリングという人のことである。 内容が被ってしまったので書くことも無いのだが、映画自体は面白いのでエッセイには書きたいので、今回はチューリングについて少し掘り下げて書こうと思う。 チューリングが生まれた1912年は、科学の大きな進歩が見られた時代だった。 20世紀最大の智の巨人である、アインシュタインによる相対性理論や、ボーアたちコペンハーゲン学派による量子論が論じられ、物理学の世界は、ニュートンが作った古典科学から現代科学へ移行し始めていた。 14歳で有名なパブリックスクールのシャーボーンスクールで学んでいたチューリングは、この頃からすでに数学と科学に秀でていた。 そのまま名門ケンブリッジを卒業すると、書いた論文が認められ、キングス・カレッジのフェロー(特別研究員)に選ばれる。 この論文の中で今のコンピュータの原理にも成りうる、チューリングマシンという計算モデルを紹介している。 彼の考えは、要は長いテープのようなものに無限に情報を書き加え、それを機械が読み取ることで記憶し、その情報を二次的に応用していくというもので、現代のコンピュータの理論に近しいものだった。 チューリングがこのような考えを持ったのは、この頃分かってきた脳科学の分野で、脳が神経繊維で形づくられた組織で、人間の心はそれらのネットワークの結びつきによって生まれているとする考えを受けたからだと言われる。 今のコンピュータに触れたわれわれならば、世界に張り巡らされたネットワークをイメージするのはたやすいのだが、彼の時代はテレビもない時代である。 その想像力には舌を巻いてしまう。 現代のわれわれがネットワークに触れるときに、考えるのは、ひょっとしたら世界はこのネットワークの中に作られた仮想の社会で、人間はネットワークの電気信号が作り出した存在なのではないかと思う時がある。 ひょっとしたら異なるネットワークの中での自分は、行き倒れているかもしれないし、革命の指導者かもしれない。 世界はネットワークの中に作り出された仮想空間で、その仮想空間の中にわれわれ人間は毎日を電気信号の動きに従い暮らしているのではないか? 支配されているのは実は自分たちなのではないか?などとSFチックなことを想像したりするのも、全てはチューリングの理論が無ければ存在しなかったかもしれないわけである。 そんな突飛な考えはさておき、ここでもう一度エニグマについて触れておこう。 エニグマはシーザー暗号を複雑にしたもので、タイプライター型の機械にその日の「設定」を施して暗号を作り、受信側の機械を同じ設定にすれば、その暗号文の元の文が出てくるという単純な仕組みである。 もう少し詳しい内容は、ビューティフル・マインドの映画紹介に書いてあるのでそちらを参照して欲しい。 エニグマの何がウザイかというと、この設定は相当な数の組み合わせがあることである。 設定は言葉の数だけ存在するわけなので、仮にエニグマをドイツから盗んできて、そのまま試しても、当たり前だが文字を絞り込むなりしなければ解析することができない。 エニグマの暗号の大半は、その日または翌日の軍事情報である。 解読が数週間後では、すでに戦いが終わってしまうのである。 そういったことで、仕組みは分かっても理屈上天文学的数字の数あわせを1日で行うのは、人の手ではまず不可能である。 そのため、チューリングはその動きを論理的に解き明かし、マシンに計算をさせようと考える。 このチューリングが作り上げた機械によって、エニグマは解読され、ドイツの情報はイギリスの知るところになるのだが、最後にこの映画のタイトルともなっている、「イミテーションゲーム」、つまりチューリングテストというものを紹介しておこう。 チューリングテストとは、人工知能を持つマシンの判定方法を言う。 まず、2台のマシンを用意し、そのマシンに向かって質問をする。 マシンの一つは人間で、もう一つは人工知能に繋がっている。 マシンはそれぞれその質問について答えを返す。 当然人間も返す。 無論質問者はどちらの答えが人工知能かを知らない。 わからない状態なので、色々な質問をし、その答えだけで質問者は人かマシンかを判断するわけである。 そして、いくつかの自由度のある質問の結果、テストをする人が最後までどちらが人間なのかわからなければ、そのコンピュータには知能がある、と言えるわけである。 このテストを実際に行った場合、人は人間らしい部分でバグを生じさせる。 人間は間違えるということである。 マシンは無限に等しいプログラムから最適な言葉をチョイスするだけなので、その辺のファジーさを表現することが大変難しく、人間臭さのようなものは表現しきれない。 多分この理論では確実に人工知能を判断するものではないが、チューリングテストの考えは、解析のアルゴリズムとして今日のコンピュータプログラミング上でも生かされており、プログラマーの端くれの僕でも、論理思考という言葉で、このロジックを考えることは多い。 要はマシンが返す答えを考えるときに、いかに完璧に等しいものとするかということである。 話がやや脱線しかけたが、さて、こんなものすごい天才がどんな運命をたどったのかは映画を観ていただければよいのだが、近年彼の評価の見直しがイギリス国内でも起こり、往年に逮捕された彼の不名誉な経歴を、特赦によって取り消す運動があったりした。 彼の偉業は、現代の社会の大きな部分に貢献しており、そのことに人々も気づき始めたわけである。 もう一つこの映画を観ながら感じたことに、彼を動かした原動力は、自分しかこの暗号を解くことができないという、強い信念に根ざしたものであったことは、想像に難くないということである。 我々は豊かでありながら、その豊かさに安堵し、彼のような使命に生きようとしていないのではないか、などと考えてしまう。 数多くの天才の物語はあるが、戦争という過酷な状況下で生まれた才能は、時にして無情な運命が待ち受けている。 映画の中で彼は言う。 暴力を行った時、人は高揚感を感じる。 しかしその後に来るのはむなしさである。 暴力のむなしさに気づいて人は成長をすれば、彼のような天才の運命も変わって言ったのかもしれない。 世界中に張り巡らされたコンピューター網は人間の脳が持つネットワークと同じで、人類は巨大なシナプスを仮想空間上に作り出し、巨大な仮想的な社会を作り出してしまったといえなくもない。 仮想的な社会では、人を貶めたり悪意を投げ込んだりと、変わらず暴力を繰り返している。 われわれが、いつまでも暴力を行い続けるのであれば、いつかネットワークは暴走し、本当にわれわれを支配する日が来るのかもしれない。 少なくともそんな時代が来ないように、彼のような暴力には屈しない強さを持ちたいものである。
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