思い出のマーニー

監督 米林宏昌
出演 高月彩良 有村架純
制作 2014年日本

重要なのは還ることを目指して生きるということなのかもしれない

(2015年04月01日更新)

  • 卒業のシーズンである。 昔大好きだった斉藤由貴さんのデビュー曲に「卒業」という歌があって、歌詞の中に『卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう』というフレーズがある。 相当昔の記憶ではあるが、海馬の引き出しを開けて卒業式の事を思い出すと、式で泣く子は相当数いたように思う。 無論大部分は女の子なのだが、少なくとも別れの季節に笑顔だけということはなかった。 最近の事情はどうも異なるらしく、卒業式で泣く人はいないそうだ。 理由は簡単で、卒業しても別れないかららしい。 Lineなどのコミュニケーションツールが発達したために、人生の区切りの卒業後も、繋がっていられるからのようだ。 なので斉藤由貴さんの歌も今の若者の心には響かないようだ。 もう一つ最近の傾向で、今度は少し気に入らない風潮なのだが、写真を撮る人が多くなったということである。 実家のある大阪は十三の淀川花火大会で、橋の上から見たら、天井に咲く花火の灯りよりも携帯で写真を撮る光の方が明るかったのを覚えている。 なんでもかんでも写真に撮るので、実際に自分の目でその美しい風景を収めるということができているのだろうか?なんてことを思ってしまう。 ツールの発達は、人々の経験までもストックできるようにしてしまったようで、現実の友達や出来事も全てホルダーの中に保存できてしまうのだから、脳の領域に思い出を残していこうなんて気にならないのはなんとなく理解できるのだが、しかしフィルターにかけて見たものよりも、やはり肉眼で見た景色やその空気に触れて初めて感動を生むものだと思うので、個人的にはもう少し写真を控えたほうが心が豊かになるのではないかなあとは思う。 しかし思い出というものは厄介なもので、美しい景色に触れて良い思い出になったものもあれば、失恋だの受験失敗だの辛い思い出もある。 写真に残るものは美しいものがほとんどで辛いものは多分残さない。 写真を見ることでその美しいものをさらに美しく思い出すことができるかもしれないが、つらかった思いは写真などなくても思い出すことができる。 ならばいっそうの事、思い出を思い出にせず、すべてを写真に収めて一切の思い出を記憶に頼らないことで、写真だけで引き出されるようにしておくことで、人生が美しいものだけで彩られていく可能性があるかもしれない。 また時が過ぎていくと思い出が遠ざかり、記憶への疑いも出てくる。 写真は確実に生きた断片なのだろうが、その記憶は少しずつ曲げられていくかもしれない。 心は自分次第なので、どのように記憶を残しておきたいと思うかが重要であり、実際はどうだったかなどはどうでもよい。 市井の人々が何も伝承者のようにきちんとした記録を残す必要はない。 悪意のない幸せな嘘であれば、写真の中に小さな希望と共に思いを忍ばせてもそんなに悪いことではないのではないかと思うわけである。 その時に感じたことや思いがあったことを後に振り返り、そして幸せだった時代に感謝するために、人は思い出を大切に生きている。 重要なのは還ることを目指して生きるということなのかもしれない。 そう考えていくと、写真を残すということも決して悪いことではないのかもしれない。 ということで今回は思い出のマーニーという、児童文学から出たジブリ映画である。 話は少女の友情(または少女同士の恋物語)に見えがちだが、後半にかけてまあまあ奥が深くなってくる。 物語の中核を成すのは正に「思い出」である。 主人公の杏奈は両親の事故死と養子として引き取られた家で起きた、ある思い出に苦しめられている。 そんな彼女が静養地で知り合った外国の女の子マーニーに惹かれ、自分の悩みさえ打ち明けるほどの親友となる。 物語ではマーニーについての思い出が様々なかたちで語られ、やがてマーニーが誰であるかを知る。 辛い思い出や悲しい思い出の中に、絶対に忘れてはいけない大切な思い出が含まれている。 そういうものが自分の中にあることを知った時、人は少しだけ強くなることができる。 思いというものが幾重にも積み重ねられて、思い出を作り上げていき、その思い出は本当に大切なものとして心のどこかにストックされていく。 そう言ったものがたくさんあるから、人は喜びを持ってまた次の日も生きていけるのかもしれない。 とても美しいお話でした。
■広告

にほんブログ村 映画ブログ 映画日記へ

DMMレンタルLinkボタン あらすじLink MovieWalker
 VivaMovie:あ行へ