トラフィック「Mr.Fantasy」

歌ってくれ、そしてギターを弾いてくれ

(2013年05月31日更新)

  • 1967年4月1日。4人の若者たちは穀物庫のような農家にこもって、音楽を作っていた。 イギリスのバークシャーという田舎町は、特に何かで発散できるでもなく、彼らはドラッグでハイになるか、音楽を作るくらいしかやることもなく、ただ時間だけが溢れるほどにあった。 トラフィックは中心人物スティービー・ウィンウッドをリーダーに、バーミンガム出身の友人だった、ドラマーのジム・キャパルディと、フルート奏者クリス・ウッドと、ヘリオンズというグループにいた、デイブ・メイソンで結成された。 スティービーは、当時から既に人気を得ており、16歳でスペンサー・デービス・グループでプロとしてデビューしていた彼は、「ブリティッシュソウルのモーツァルト」と呼ばれていた。 彼のヴォーカルはアメリカのブラック・ミュージックの専門局が、白人バンドと気づかずに、演奏リストに入れてしまったくらい、完璧なソウルだった。 その才能もあって、グループは初の全英1位の曲「キープ・オン・ラーニング」を世に送り出す。 スティーブの名前は、楽曲の成功とあわせて有名になり、ロンドンのカフェで彼の名前を知らないものはなかったという。 しかし、若き天才音楽家の求める音楽はそこにはなかった。 彼の頭でしがな一日鳴り止まない音楽を、彼は具体化させるべく、理想的なメンバーと、理想的な地で1年に亘る音楽作成に入る。 そして、デイブ・メイソンの幻想的なシタールが印象的な「ペイパー・サン」を世に送り出すと直ぐにヒットする。 トラフィックと名付けられたバンドは、その後、一曲一曲が変化に富んだアルバム「ミスター・ファンタジー」を発表し、聴くものを納得させた。 アルバムは全編サイケ嗜好が深いメイソンと、持ち前のソウルと複雑で美しいギターのリフが売りのスティーブの個性が、上手く融合したアルバムで、まさにサイケの金字塔としての1枚となる。 しかし、二人の個性は直ぐに亀裂を生じ、2枚目のアルバム「トラフィック」発表後には、既にメイソンはバンドを脱退してしまう。 ジャズ・ブルース・R&Bの融合を試みた若き天才は、その後メイソンという比較的ポップな音楽を作り出す名手を失い、バンド自身が進むべき方向性に興味をなくしたかのように失速し、1968年12月にはトラフィックはその活動を休止してしまう。 わずか1年半の活動で、3枚のアルバムを送り出しての解散だった。 その後ウィンウッドは、クリームのクラプトンやジンジャー・ベーカーとスーパーグループ「ブラインド・フェイス」を結成するが、わずか1枚のアルバムで幕を閉じる。 トラフィックは再度メイソンを除くメンバーで再結成されるが、独りよがりで実験的なサウンドに始終し、どれも成功とは言えなかった。 Dear Mister Fantasy play us a tune 親愛なるミスター・ファンタジー演奏してくれ Something to make us all happy みんなが幸せになれるような曲を Do anything take us out of this gloom この暗い人生から俺たちを救い出してくれ Sing a song, play guitar 歌ってくれ、そしてギターを弾いてくれ Make it snappy 洒落た人生になれるように スティーブの音楽は頭の中に至上のものがあって、その至上を求めて彼は音楽を追い求めているのかもしれない。 その結果彼はいくつかの音楽を融合させ、多様性を持って成功を得た。 しかし、融合させた先にあるものは新しい音楽の創造ではなく、別の奇異な変化にあったのかもしれない。 同時に彼の中の音楽は、彼を満足とさせない。 彼の音楽は独自性を帯び、その音楽の信奉者は、やがて新しく生まれる別のバンドに興味を移していく。 しかし、スティーブの中では、もうひとりの音楽が叫び続けているのかもしれない。 ミスター・ファンタジー。 皆が幸せになれる曲を歌ってくれ。 才能の使い方は時として難しいものである。
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