第六感は存在するのか?

生物の持つ危機回避本能

(2014年11月17日更新)

  • 第六感というものがある。 人間にある五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)を超えた、超感覚を指す言葉として、オカルティックな世界では有名な言葉で、もっとわかりやすい日本語にすると、虫の知らせのことである。 こういった話は世界中に好きな人がいるようで、第六感のデパートのような話が、タイタニック号沈没の話にある。 例えば乗務員の母親が沈没を察知して、乗務員名簿から名前を消させるよう働きかけを行った話や、実際の物語によく似た小説が、事故より前に書かれているなど、後で検証しにくい話が結構あったりする。 最終的には、タイタニック沈没自体、船会社の保険金詐取ではないかという話にまで広がって、将来的には、本当は沈没事件自体無かった、という話になっているのではないかと思うくらいである。 第六感のよくある例だと、動物なんかが地震を予知してその場を離れたり、沈む船にねずみが乗らなかったり、感覚的な何かが働いて、危険を回避するということがあるらしく、この時に働く察知力のようなものも、第六感と呼ばれている。 最近激太りのハーレイ・ジョエル・オスメントくん主演の「シックスセンス」という映画もあったが、特殊な何かが見えるという超人的な感覚も、昔からよく知られる第六感の一つである。 この第六感については多くの研究がなされ、特に予知能力という形で真面目に研究する研究所があって、旧ソ連の四次元科学研究所や、アメリカ国防省でも大真面目に研究がされていた経緯がある。 その成果なのか、大きな地震を予知したとか、夢で津波を告げられ、本当に津波が来たなど、本当だったら是非とも、予知能力者に宝くじの当選番号を聞きたいなあ、と思うような例もあるらしい。 とは言え、普通の感覚だと実際眉唾だろうと思う予知能力だが、この能力は人間が本来持つ危機能力だと言われている。 人間、というよりかは動物が持っているもので、地震予知について、例えば地震の前には深海の魚が水面まで上がってくるという話がある。 これは、プレートが動く際に出る電気によって位置を狂わされた深海の魚が、自分の居場所がわからなくなって、水面に上がってしまうためだと言われている。 魚に聞いたわけではないだろうから推測なのだろうが、進化の魚だけに目は退化し、見えるもので判断はしていないだろうから、電気を察知して位置を確認していると言われれば、何となくわからなくはない話ではある。 魚にもできるのであれば、人間にもこういう危機状況下に、普段感じられない何かを感じて、その違和感で危険な場所を回避する、というようなことがあるのかもしれない。 しかし、予知能力だけが第六感ではないわけで、例えば幽霊が見える人なんかも第六感に位置づけられるのだが、話だけ聞いていると普通に嘘つけと思ってしまう。 昔、織田無道さんがテレビで、調子によっては幽霊も見える時と見えない時がある、みたいなことを言っていたが、僕は40年生きてきているが、目の前にあるものが見えたり見えなかったりしたことは一度としてない。 多分見落としたことはあるだろうが、見えなかったことは断じてない。 第六感は調子によって左右されるものなのであれば、その調子とはどういう時なのか? 僕自身は、この手の輩に対して、その能力の正体を表現する、平和的な言葉を持っている。 それは勘違いという言葉である。 たとえば悪魔つきという現象がある。 映画「ポルターガイスト」で有名なキリスト教圏でよく起こる現象のようだが、知らない人のために書くと、普通の人にある日悪魔が取り付いて、声が変わったり、その人の人格とは全く違う雰囲気や態度をとったり、というようなことを繰り返すようになる。 「ポルターガイスト」は、この悪魔を取り払う、悪魔祓い師という人が出てくる映画なのだが、流石に映画の中のように、少女が空を飛んだり、ブリッジのまま動いたりとか、まあまあ気持ちの悪い動きをするというようなことは実際にはないようだ。 悪魔つきについても、僕自身はひとつの考えがあって、これもよく勘違いをする脳の仕業だと思っている。 例えば心霊写真なんかは、3点のラインを認識すると、脳は人の顔と勘違いするというものだし、色や動きのあるものなんかは、脳の錯覚を使えば、いくらでも不思議に変化させることができる。 悪魔つきに悪魔がつくのも、信心深いが故に、一度過ちを犯してしまうと、その罪意識から自分が悪魔に魅入られたと考え、脳が完全にその思考に乗っ取られてしまい、自分の中に悪魔を作ってしまう。 声が変わるのもたぶん声色だし、それを意識せずにやってしまうのが、本当の悪魔つきの正体なのだと思う。 ここまで書いてなんだか、僕が第六感を否定的に取れているように感じられると、少し不本意ではあるので、最後に第六感の中の直感について書こう。 直感とは、初めての体験なのに、直感でその物事が出来てしまったり、初めての場所なのに、どこに何があるかを感覚的に分かったりする、予知能力に近いものなのだが、この能力は大部分は、人間の学習能力に由来するものと考えている。 初めての体験と自身は思っていても、実はよく似た体験をしていることがあると、体が初めてと捉えないということがある。 僕は趣味でモーグルスキーをするのだが、スキーで養われるコブを捉える感覚は、リズム系ゲームなんかをやった時に、落ちてくる玉を捉える感覚は、どこか似たものを感じたりする。 つまりは直感が働いているようで、実は似たモノを脳が覚えていたりするからで、始めて泊まったホテルなのに間取りがわかるみたいなのも、ホテルがどこも似ているからだったりする。 つまりは第六感というものは訓練によるひとつの成果であって、似た感覚は即ち、脳がその分野に対して十分に理解がされているので、似た動きをする者に対して、体に似た感覚を呼び覚まさせる。 地震に対しての予知能力も、悪魔つきの現象も、危険なものへの回避であり「地震にあわないようにする」または、「自分の罪意識で心が死なないようにする」と言った、生物の持つ危機回避本能なのである。 最後に僕の中学生の時のエピソードだが、塾に行く時に、向こうの曲がり角から、ふと当時好きだった女の子が歩いてくるのではないか?と思ったことがあった。 すると本当に彼女がセーラー服姿で歩いてくる。 その時は自分の予知能力の高さも然ることながら、彼女への思いがより強くなってしまった。 今考えると、その道は彼女の家に向かう道で、僕はいつも彼女が通る道を、彼女が来ることを期待しながら自転車で走っていたのだから、偶然としてそんなことが起きるのは当たり前である。 思えばおめでたい話である。
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