情けは人の為ならず

誰かが「あなたは頑張った」ということを伝えなければいけない

(2020年01月01日更新)

  • 若い頃の話である。 後輩の女の子が会社を去った。 その子はとても頑張り屋で、でも人よりもできないことが多くて、その分一生懸命仕事に向きあっていた。 しかし不器用さはなかなか変えられるものでもなく、毎日ミスがあったようで、毎日遅くまで仕事をしていた。 見た目や話し方もどこか弱そうな印象があり、それも手伝ってか先輩社員は彼女に対して毎日仕事の訓示を述べ、時にはしたり顔で仕事の何たるかを彼女に話していた。 僕は営業職だったので、事務方だったその女の子の仕事ぶりをずっと見ていたわけではなかったのだが、夜遅くまで一人で仕事を頑張っている姿をよく見ていたので、結果はどうあれ頑張りを認めてあげるのも必要だと思っていた。 同時にこの子がこの会社を長くは続けることはできないだろうな、と思っていた。 予想通り彼女は1年もたたずに会社を去ることになった。 もともと新卒定着率10パーセント未満というハードな会社だったこともあり、周りも余り気にも留めていなかったのだが、僕はその姿を見ながらあることに気づいた。 人は見た目なのだと。 見た目が良い人物は評価されやすい。 それに気づいた僕は、営業職時代は数本のスーツを使い分け、数万円のネクタイをして、身なりをきちっとしていた。 営業成績も悪くはなかった。 会社勤めで20年を過ぎた頃に、老いた人たちの多くが会社を去っていった。 その人たちは役職と給料が高いという理由でいなくなっていった人たちである。 年功序列というシステムが無くなり、特に何かができるわけでもない古参の人材というものは正直使い勝手が悪い。 世知辛い世の中だとは思うが、一方で正当な評価に基づくものであれば仕方がないとは思う。 僕は去り行く老兵の姿を見ながら、十数年前のあの不器用だった女の子はどうしているのだろうと思っていた。 今は結婚して幸せな家庭を築いているのだろうか? それとも持ち前の頑張りで腕に何かの職をつけて別のシーンで活躍しているのだろうか。 それとも初めて勤めた会社で自信を失い、あまり恵まれない人生を今も過ごしているのだろうか? 彼女を追い詰めていった若かった彼らは、今こうして野に放たれて、特に何もできない自分に直面していることだろう。 その姿を彼女が見たら彼女はどう思うのだろう。 ざまあみろと思うのだろうか?それともどこか複雑な気持ちで彼らを見つめるのだろうか。 定年までやり過ごすつもりだった会社で彼らの行き場は狭められ、やがて線香花火のようにほのかに燃えて、ひっそりと消えていく。 僕には後輩も部下もいて、彼らと接する時に、いつもその女の子の影を見ていたような気がする。 そして彼ら、彼女らが何かを思いながら会社を去っていく姿を見る時に、僕はちゃんと彼らの頑張りに合ったものを与えることができたのだろうかと思う。 熱心に何かの役に立ちたいと仕事をした彼らに、僕は報いたのだろうか。 叱ることは誰でもできる。否定することは誰でもできる。 しかし、やる気を持って臨んだ彼らに僕はちゃんと与えることができたのだろうか? 僕はそんな彼らに本を送ることにした。 本は彼らに何かを語ってくれるかもしれないからだが、同時に僕自身も彼らに語ることができると思ったからである。 「あなたはよく頑張ったんですよ」 その気持ちを本の中にある言葉に託した。 ある意味でそれは疲れ切って会社を去る彼らに対しての、僕の情けだったのかもしれない。 希望を持って会社を去る分には別にそんなものは必要はないのだが、疲れていく彼らを見ていく中で、誰かが「あなたは頑張った」ということを伝えなければいけないと思ったのである。 同時にそんな人の思いを吸い取って成長を続けていく会社というものに対し、得も言えぬ気味の悪さを感じていた。 どこかの闇の中で、あるものは自分が偉いと思い込み棘のある言葉を投げ込み、あるものは自分がダメだとぬかるんだ床に膝まずき、そしてある物はそんな現実を理解しながら平然と自分に嘘と詭弁を重ねて立ち位置をキープするために過ごしているような、人の業のようなものを感じるようになった。 会社とはそういった人の思いを餌に大きくなる怪物のようで、その中で僕は生きているような気がしていた。 僕が彼らにかけようとした情けは自分のためだという事を僕は知っていた。 どこかで人が頑張れる世界であってほしいというセンチメンタリズムに似た気持ちがあったからである。 しかし世の中は狡猾で嘘が上手くて、知性が高いものが頑張るものを搾取する。 情けが世の中を変えてくれればという思いが、多分僕の中にあるのだと思うのだが、それは世界に愛を期待できないのと同じ理由で、ただの幻想なのかもしれない。 いつか僕はちっぽけな世界でもいいので、皆が素直に頑張れる世界を作りたいと思っている。 それはなるべくそれぞれの特性に合った能力が発揮できる世界が良い。 それが無理なら、せめて情けを持って人に接する気持ちがあったほうが良い。 情けはいつか自分の糧になり、小さな世界の扉を開くことができるはずで、その後ろには多くの人々が付いてくるはずである。 そうすれば生きるという事に意味を持てる気がする。
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